Homepageのリストに戻る

M406

ドイツの医学博士とは

岡嶋道夫

 okajimamic@hi-ho.ne.jp
http://www.hi-ho.ne.jp/okajimamic/m406.htm

2000年5月20日

 

はじめに

学位制度は国によって著しく違っています。また、学位は大学が授与する称号であるので、学位授与規則は大学によってその条文や表現が異なっているのが普通のようです。しかし、一つの国を眺めてみると、学位の種類やレベル、授与方式はおおむね統一されていると言えます。ここでは、ドイツの医師に授与される医学博士Dr.med.について解説を試みますが、ドイツの学位授与規則の見本として、ハイデルベルグ大学医学部の規則を全訳してこのホームページに掲載しているので、関心のある方は参照して下さい。

<ハイデルベルグ大学医学部ドクター学位授与規則>

ドイツの医学部では、医師でない者に授与する人間科学博士Dr.sc.hum.というのがあります。また、教授資格試験Habilitationと言われ、合格すると私講師Privatdozentの資格が与えられる制度もあります。これら二つの規則もインターネットで入手し、ハイデルベルグ大学より翻訳・掲載の許可を得ているので、何時になるか確約はできませんが、そのうちにこのホームページで紹介したいと思っています。

 

目次

日本の医学博士

米国の学位

英国の学位

ドイツの医学博士Dr.med.

日本と違うドイツの医学博士

Dr.sc..hum.(人間科学博士)

学生中に学位論文を作成する

学位論文の条件

専門医資格と学位

学位授与規則

ドイツの医学生は忙しい

文献:

 

日本の医学博士

古くから繰り返して論じられているように、日本の「医学博士」は数多くの問題を孕んでいます。その一つに学位と卒後臨床研修の競合があります。それでは、日本が西洋医学を学んだ本家とも言えるドイツではどうなっているかというと、その実態がほとんど知られていません。

そこで、ドイツの医学博士に焦点を当てて論じてみますが、最初に皆さんから教えていただきたいことがあります。それは「医学部を卒業し、卒後臨床研修に入ってから学位論文を作る国が、日本以外に存在するでしょうか」、という質問です。

米国の学位

米国では学位論文を書かなくても、医学部を卒業すればM.D.の資格を取得できることはよく知られています。研究を志す人は、卒後にPh.D.のコースに入ってPh.D.の学位を取得します。また、近年は医学部在学中の学生のために、卒前にPh.D.が取得できるコースも用意されています。

日本からは大勢の若手研究者が米国に留学しているので、米国のPh.D.コースについては詳しい情報を皆さんが持っておられるものと思います。私は米国のことは不案内ですが、30年ほど前に、UCLAのある大学における生理学のPh.D.コースの案内を貰って目を通したことがありますが、医学部のスタッフだけの構成ではなく、いろいろな学部や学科のスタッフが名を連ねたコースであるのが印象に残っています。このような米国の制度には学ぶべきものが多々ありますが、博士号という単純な感覚で、Ph.D.と日本の「医学博士」を混同して考えることは好ましくありません。

英国の学位

英国には「医学博士.M D.」という学位制度が存在しますが、通常の医師はこのような称号を持っていません。医師にとって大切なのは専門医称号です。では英国のM. D.は、どのような医師が、どのようにして取得するのでしょうか。私は30年ほど前にある大学の学位規則集を貰ってM.D.の章を読みました。もう一度読もうと思ったのですが、その小冊子が見当たりません。

インターネットで少し探してみたのですが、努力不足のせいか、規則のような資料はまだ入手できません。しかし、Research Doctorate (MD, PhD)の案内は出ていました。ある大学のホームページでは、期間はフルタイムが36ヶ月、パートタイムが60ヶ月となっていました。

それで、30年前の小冊子と、その後あちらの教授から聞いた不確実な記憶を頼って述べてみます。したがって、誤りがあることをご承知願います。

勤務先(大学であったり、大学外であったりする)から学位論文作成に従事する許可を得て、大学に学位論文のテーマを提出し、学位論文作成に従事することの承認を受けます。卒業して大分経ち、自分の専門がはっきりした頃になってから、学位論文を書くことが多いようです。

そして大学、または他の施設でフルタイムあるいはパートタイムで学位論文作成のための研究を開始します。テーマを変更するときは、大学の委員会の許可が必要です。また、研究期間には一定の年限があり、その延長にはかなり厳しい制限があったように記憶します。

学位の審査と授与は卒業した大学で行われる、ということを聞いた記憶があります。例えばA大学を卒業した人が、B大学、あるいはC研究所で学位のための研究を行った場合、学位審査と授与は母校であるA大学で行われます。

もちろん、これは専門医資格を取得するための卒後臨床研修とは全く別個の制度です。つまり、研究者としての資格を証明するものであるので、この学位を有することは誇り高いもののようです。この点では、医学部学生のうちに作成するドイツの医学博士Dr.med.とは大きな違いがありますBしかし、M.D.やPh.D.はmiddleレベルの学位であるとのことです。それより低いものには、本の修士に相当するものがあり、人文系のものだったと思いますが、higher degreeという年期を入れなければ取得できない学位もあったように記憶します。それを読んでいて、Dr.の学位であれば、すべての学問領域を同じ年限に統一する、とする思想の日本とは違っているように感じたものです。

ドイツの医学博士Dr.med.

ところで、日本は明治初期に医学をドイツから学んだので、医学博士の制度もドイツの影響を強く受けていると思っている方がかなりおられるでしょう。しかし、現状は大変に違うので、それが分かるようにドイツの医学博士の制度を紹介してみます。

日本と違うドイツの医学博士

そんなことが!と驚かれるかもしれませんが、ドイツの医学生は(高校卒は19歳で日本より1年上)6年間の医学部教育の高学年になると、医学博士(Dr.med.)の論文作成に従事するのです。6年間の学部教育の後、現在は18ヶ月となっている臨床初期研修を仮免許の形で行い、それを修了した時点で医師免許が交付されます。そして、多くの場合、医師免許を取得すると同時に学位が授与されることになっています。学位論文ができていても、また学位審査に合格していても、医師免許を取得しなかったり、国家試験に落第すると学位は授与されません。つまり、Dr.med.の称号は医師にしか与えられないのです。

Dr.sc..hum.(人間科学博士)

医師の資格を持たない人には、Dr.sc..hum.(人間科学博士)の学位が医学部から授与されます。この学位は以前にはなかったはずです。Dr.sc..hum.の学位が授与されるのは、ハイデルベルグ大学においては、医学情報、物理、化学、数学、生物学、微生物学、心理学、生化学のディプロームあるいは国家試験合格の資格を有する人です。Dr.sc..hum.授与に関しても、本規定と同じような規則がありますので、可能であれば後日この規則も翻訳したいと思っています。英国やインドでも、医学部は医学博士だけでなく、Ph.D.の学位も出します。日本の医学部は保健学の学位は出ますが、Ph.D.の要素のある学位は出さないので、医師でない者も「医学博士」を貰う結果となっていることは周知の通りです。

学生中に学位論文を作成する

ドイツでは、国家試験に合格して医師になれば、卒後研修規則で定められた専門医コースの何れかに所属して、そのコースの臨床研修を行うことが義務づけられています。そのコースでは、卒後研修規則に従って臨床研修に専心しなければ専門医の資格は取得できません。従って、臨床研修の期間に学位作成に従事することは不可能です。この点が卒後臨床研修と学位論文が同居している日本とは大きく異なる点です。

ドイツでは、今から40年ほど前までは、ほとんど総べての医学生は学生中に学位論文を作成し、大多数の医師は医学博士の肩書を持っていました。しかし、その後は学位のない医師が増加し、現在では学位を取得して医師になる者は5割から6割程度になっています。

医学部の高学年に進むと、学部から指導教官(大学の先生や関連機関の研究者)と研究テーマが与えられ、学位論文作成に取り掛かります。ある大学医学部では、その心得をホームページに親切に示したりしています。

学位の研究は実験的研究への参加、統計的な研究など色々ですが、沢山の関連文献を読み、自ら仕事を行い、自分で論文を書くことが求められます。そして指導教官から何回も書き直しを命ぜられるとのことです。学位作成に当る医学生は授業の合間や休暇を利用して研究室に出入りして勉強します。

学位論文の条件

医学博士が与えられる条件は、大学によってその表現は様々ですが、共通していることは、その学生が「自立して科学的に仕事ができることの証明」となっています。本人がそのような能力を具えていることを証明するものが学位論文thesis, Disseltationですから、学位論文は一般の研究論文とは違った独特の体裁で作成されます。当然のことですが、申請者単独の著作であることが原則です。しかし、例外的な扱いとして、学術雑誌に発表された研究論文をもって学位論文に替えることができるという規定もあります。そのような場合、共著論文であれば、申請者が何を分担したかを厳密に示すことが要求されます。このように、学位論文が科学的成果を発表する一般の研究論文とは異なった性格のものであることは、世界に共通した常識ですが、日本ではこのような認識が希薄で、一般研究論文と学位論文を混同している嫌いがあります。

ドイツ語で書かれた「学位論文を書こうとする学生のために」というような書名の本を読んだことがありますが、それには、「学生は当初実験などが大変であるが、論文を書くことは易しいと考える、しかしやってみると反対で、論文にまとめる作業の方が大変なことを悟るであろう」、といったことが書いてありました。

専門医資格と学位

私が購読しているドイツのある州の医師会雑誌には、新たに専門医資格を取得した医師の名簿が毎月掲載されます。ドイツの専門医認定は、医師会の専門医認定委員会が毎月口頭試験の形で行うので、毎号ほぼ同じ数の資格取得者が紹介されます。そこでは専門科の種類と、取得者の氏名、学位の有無、地名が示されていますが、最近の状況を見ると、内科などの専門医資格を取得する医師には学位所有者が多く、家庭医の専門医資格取得には学位を持たない医師が多い傾向が見られます。また、学位を持たない医師は女医さんに多い傾向も現れています。

米国のPh.D.や英国のM.D.などと違って、ドイツの医学博士の学位論文は卒論と言った感じですが、医学生にとっては大きなアカデミックな体験になるわけです。学生時代に努力するか否かは、Dr.med.というアカデミックな称号を生涯標榜できるかどうかの分かれ道でもあります。私が35年前にドイツに留学していたとき、研究室に数名の学生が学位論文作成のために配属されていましたが、その中の一人が研究の合間に小冊子を真剣に読んでいました。それは何かと聞いたところ「医師国家試験の規則」とのことでした。後日その小冊子を買って帰国、辞書片手に読んだところ、あちらの試験に対する理念と実施方法が大変厳格であるのを知り、大きなカルチャーショックを受け、これが医学教育などの問題に関心を持つ切っ掛けになったのでした。

学位授与規則

ところでハイデルベルグ大学医学部学位授与規則には、学位の申請や審査の手続が厳格に規定されています。一例として、学位論文は審査の前に学部事務室で公開されることにもなっています。しかし、日本よりずっと短い年月で学位論文を作成することができます。医師免許と同時に学位を取得する場合には、口頭試験が免除されます。医師国家試験で口頭試験が行われるので、重複の必要がないと考えているのでしょう。

学位請求の中で、学生にとってもっとも大きな出費は、規定に従ったスタイルの学位論文を印刷する費用のようです。しかし、それ以外に大きな出費はないようです。

ドイツの医学生は忙しい

制度は国によって違います。ドイツの医学生の勉学に費やす時間と真剣さの程度は、日本と大きく違っているようです。そのような環境で育てられた医師は、国民からの信頼度も高くなるのではないでしょうか。

このようなドイツの医学博士の制度は、卒前の臨床教育の充実を目指している医学教育改革と競合することになると思います。どのような議論がなされているかについては私は不案内ですが、今後どのように対応していくかは注目すべきことでしょう。これに関連して以下のような調査報告も発表されています。

文献:

1.「医学博士」への道−博士試験申請者は博士号請求論文をどのように考えているか。DMW20:675−678、1998.

2.Wuerzburg大学要員を例にしたドイツにおける医学生の研究活動。DMW20:675−678、1998.

DMWは「ドイツ医学週報」の略名で、同誌の記事を翻訳して掲載しています。これらは、学位論文取得者および教授や講師に対するアンケート調査報告で、EUとの比較を行うための基礎資料ですが、学位論文の制度を肯定的に考えている人が多いようです。