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M408

未完成リポート:

ドイツ医師職業裁判所の判例から

東京医科歯科大学 名誉教授

岡嶋道夫

 

ドイツの医師が守らなければならない職業上の義務と倫理は、「医師職業規則」にその基準が示されている。(医師職業規則の1970年版、1993年版、1997年版の翻訳は本ホームページに掲載されている。)条文そのものが多少抽象的であっても、「医師職業裁判所の判例」を見ると、その基準が具体的にどのようなものであるかを知ることができる。

そこで「職業裁判所判例集」から偶然に拾った8件の判例の紹介から始めることにしよう。医師職業裁判所の構成などについては本ホームページの別のファイルで紹介しているので、ここでは簡潔に述べるだけにとどめる。医師の信頼と医療の質を確保するために、このような制度を作っているという事実にご注目いただけると幸いである。本稿は、後日筆を加えて充実させていきたいと考えている。

 

「医師職業裁判所判例集」(加除式)からの判例

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判例1(1998年):保険の不正請求

概要:ある病院の部長医が数年にわたって、週末(僅かな期間ではあるが)に帰宅する患者が入院しているように書類を作り、疾病金庫から入院の費用を不正に入手していた。部長医はそれによって病院が支払を受けられると考えたからである。その場合、通常勤務の女医がその行為を手伝った。

ここに示された判例は部長医のものではなく、それを手伝った女医に対するものである。その女医は刑事裁判で有罪となり、4万マルクの罰金を科せられた。

しかし、その女医への制裁はそれだけでは済まない。日本には存在しない医師職業裁判所は、「その女医の行為は、医師に対する信頼を著しく傷つけた」という根拠で1万5千マルクの罰金を科した。

その女医は部長医の行為を手伝ったということで刑事罰受けたわけであるが、さらに医師職業裁判所からも罰せられ、合計5万5千マルクの罰金を支払わされたことになる。

ドイツの医師職業規則には「医師の職務に関連して寄せられる信頼に応えなければならない」という抽象的な規定が書いてあり、これによって上記のような制裁が下されたことになる。

ところで、ドイツで30年あまり家庭医として開業してこられた柴田三代治医師から最近貰った手紙によると、病院勤務の中年の医師の月収は7千―8千マルク(夜勤手当なし、税込)とのこと。上記の判決は1998年であるが、罰金の重さは1年間の収入に匹敵するくらいになる。

「刑事裁判の判決による刑事罰には、部長医の行為によって医療保険(疾病金庫や被保険者)に負担がかかったことや、医師という職業の信頼に関わることが含まれていない。そのような医師としての職業違反行為には職業裁判所による懲罰が必要で、それによって医師という職業の信頼性が回復できる。」と判例集には書いてあった。

判例集には以下のことも書いてあった。「この部長医は血液学の腫瘍方面で活躍している医師であり、治療に高いコストがかかるので、このようなことをやってしまったということのようである。部長医は刑事裁判で高額の罰金刑になっているので、職業裁判所の方では中等度の罰金で十分ということになった。そして医師会の被選挙権の剥奪という処罰やマスコミで騒がれた免許抹消については、不必要と判断された。」

この判例集は女医の刑事罰の種類(多分詐欺罪)ついては述べていないが、部長医の刑事罰は詐欺罪であったらしい。

帰宅している間の患者の入院費は、退院の日と戻った日以外は計算しないという協約が以前にできていたので、それに対する違反で刑事罰になったということである。

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判例2(1999年):期限切の薬

ある医師が救急箱に期限切の薬を入れていた。また、診療室にも期限切の薬を多量に残しており、また錆びた器具を使っていた。

その医師は「良心的な職業従事」の義務に違反したと判断され、1500マルクの罰金を科せられた。医療上事故などの支障があったとは書いてない。

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判例3(1997年):ひき逃げ

医師が歩行者をひき逃げして死なせてしまった。

刑事裁判では、10ヶ月の実刑と3年の運転免許停止の併科。

そして医師職業裁判所は、ひき逃げしたときに救急処置をする医師としての義務を怠ったということで5千マルクの罰金を科した。

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判例4(1999年):医師の暴言に対する処分

主旨:医師は、患者から気分を悪くさせられても、患者に対しては、医師の名誉を傷付けるような発言は慎まなければならない。

事件の経過: ある医師が1997年12月25日のクリスマスの日に、医師補助者(日本の看護婦に相当する)と一緒に診療所で、19:00まで割り当てられた救急業務当番に従事していた。(19:00が交代の時間)

18:50頃A(女性)が、自分の母親が頭痛であると診療所に電話してきた。医師は診療所に来てもよいが、すぐ来るようにと返事した(19:00からは救急当番医が交代するので)。医師はこれから1件往診をしなければならなかった。そして、その間に更にもう1件往診依頼が入ったが、出かけずにAを待っていた。(19:00までに受けた依頼は、その時間が過ぎてもその医師が全部処理しなければならない規則になっている)

患者である母親と娘は、診療所を直ぐに見つけられなかったので、19:20頃にやってきた。医師は補助者をすでに帰宅させており、往診に出かけるところであったので、患者が遅くきたことを怒っていた。

しかし、医師はドイツ語の喋れない母親とドイツ語の喋れる娘Aを診察室に入れ、検査を行い、血圧を測り、注射をして頭痛薬を処方した。この約10分の処置の間に、医師は次のような怒りをぶちまけた。「頭痛の患者のために半時間あまり診療所に釘付けになった。」そして、「彼女らの故郷(その家族はトルコの出身であるが、数十年もドイツに住んでいる)では、そんなに長く待っていてくれるような医者は見つけられないだろう。それなのに医師は自分たちのためにいつも待っていてくれるとでも思っているのか。」そこで、製薬会社の助手であった23歳のAは、「あなたが医師の職業を選んだときに、いつも患者のために存在しなければならないことを知っていなければならなかったはずだ」と反論した。この教訓に刺激された医師は、「あんたはドイツをもっと勉強しなければならない」と言い、ある種の悪口(辞書にないので翻訳不能)を述べた。この発言は、ドイツにいるトルコ人全体を見下したのではなく、彼の怒りをぶちまけただけであった。

この事件は職業裁判所で次のように判断された。

医師にとっては、クリスマスに待たされたことやAの無礼な教訓があったとしても、これは弁解にはならない。医師に期待されることは、患者に対して客観的に、思慮深く振る舞うことであって、いかなる場合にも医師の名誉を傷つけるような発言をしてはならない。この件では、トルコ国籍人に対する侮辱的発言とそのような動機を生んだ状況がある一方、医師が義務を守って救急業務を勤めた事実があるが、地区職業裁判所はこれらを勘案して、医師会代弁者が提起した2,500マルクの罰金を、職業の信頼を守るための処罰として適当であるとした。

この場合の罰は、通常の刑事罰ではないし、患者への賠償といった性格のものでもない。

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判例5(1991年): 救急業務(本ホームページM405に掲載)

夜間の救急当番に当たっていた一般医(家庭医)が、救急センター(事務的に連絡するだけ)を通して午前4時35分に急患の連絡を受けた。妻は心臓疾患の既往はないが、呼吸と体を動かすことに関係のない胸部の痛みを訴えているという内容の夫からの電話であった。また、6時10分にも再度同様の電話連絡があったが、2度とも電話で指示を与えただけであった。7時35分にその患者の家庭医が診て心筋梗塞と診断し、それはその後心電図で確認されたというケースである。

職業裁判所は、このケースは心筋梗塞のような重篤な疾患を疑わなければならない状況であったのに、そのような判断をせず、患者や家族のために往診をしなかったことは義務に違反するとして、戒告と2000マルクの罰金を科した。

上記の柴田三代治医師は手紙の中で、「患者への処置を電話の指示で済ませることはできるが、私の場合は、初めての患者のときには、何があるか分らないので必ず往診して確かめることにしています。」と書いておられたが、その意味がご理解いただけると思う。

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判例6(1981年):救急業務(本ホームページM405に掲載)

W地区で開業している女医が20km離れた別のB地区に引っ越した。3週間に1回まわってくる夜間の救急当番のとき、最初は診療所に泊まっていたが、その後夜10時以後は20km離れたB地区の自宅に戻り、留守番電話で自宅に連絡が取れるようにした。電話連絡を受けてから20km離れた診療所に車で行っても20分は掛かる。時間がこれだけ延長することは、重大な疾患のときには深刻な結果をもたらす。また、電話を掛けずに診療所に直接来た患者は、無人であるため、病院に行かなければならなくなった。そして苦情が多数寄せられた。病気の母親を抱えていたこの女医は、翌年度に代診を置くことにしたので、このような苦情はなくなった。

職業裁判所は、最初は診療所に泊まり込んでいたから、その女医は救急業務の重要性を良く知っていたはずであるのに、自宅に戻るようになったことは、医師としての義務違反で処罰に相当すると判断したが、しばらくして代診を置くようにしたという状況を考慮すると、戒告処分にとどめておくのが相当という判決を下した。

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判例7(1984年):不正確な研修証明書(本ホームページM405に掲載)

研修医が外科の専門医の認定を受けるために提出した手術のリストに、自分が執刀していないかなりのケースを、自分が執刀しているかのように書き込んだ。外科の部長医は、書類ができていますという医長の言葉をそのまま受けて署名し、病院の証明として提出した。

 職業裁判所は研修医に罰金2000マルク、外科部長医にはリストを抜き取り検査もしなかったということで罰金8000マルクを科した。しかし、第2審で部長医の罰金は2000マルクに減額された。

判例8(1998年):診察を受け付けなかった場合

生徒が授業中に首を後方に曲げたとき、頚椎部に音がして強い痛みを感じた。教師は生徒を整形外科の診療所に連れて行き、すぐ診てくれるように依頼した。医師補助者(ドイツの診療所では通常看護婦ではなく、3年間の専門教育を受けた医師補助者が医師を手伝っている)は、教師から事情を聞いて救急ケースではないと判断し、午前中は多数の患者が待っていて間に割り込ませることができないと説明した。教師が診察を強く望んだので、医師補助者は他の整形外科に連絡し、生徒はそこで診察を受け、救急を要するものではないことが分かった。職業裁判所は訴えられた整形外科医に無罪を言い渡した。

この状況では職業義務に違反する行為がないことが確定した。整形外科医は診療を拒否していなかったので、患者を断る判断を補助者に認めていたことが医師の義務に違反するかどうかの問題であった。9時に始まる診療時間はすでに予約で一杯であった。多数の診療所が存在するような町では、急を要すると思われないときは、熟達した医師補助者にあとから訪れた患者を他の医師に紹介させても差し支えはない。しかし、救急処置が必要であるかどうかの判断を医師補助者に任せることは、医師にとって少なからぬリスクを伴う。したがって、医師は救急患者といわれる患者の健康状態を自ら確認することが望ましい。直ちに医療処置が必要かどうかは、医師が常に自ら決定する義務があるというのが医師会代弁者の見解であるが、裁判では必ずそのようになるとは限らない。

なお、本件の医師補助者は、電話であまり遠くない整形外科医を紹介できたということで、義務を果たしている。

 

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 医師職業裁判所が扱う問題は広範囲に及んでいる。ここに示した判例はその一部の領域からのものであること、また無罪となっているケースも多数収録されていることをご了承いただきたい。

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ドイツの医師職業裁判所について少し解説を加えておくことにする。裁判は二審制、参審制で、通常の医師会の懲戒処分より少し重い事件や特殊な事件を審査している。参審制というのは、特殊な専門領域の裁判において、その方面に詳しい民間人を名誉職裁判官として任命する制度である。名誉職裁判官はボランティアで報酬は原則として支払われない。

医師職業裁判所の第一審は裁判官3名で構成されるが、その内訳は専門職裁判官1名、医師会が推薦した医師の中から裁判所が選んだ名誉職裁判官2名からなる。第二審は、専門職裁判官3名、医師の名誉職裁判官2名で構成される。

ドイツでは、総ての裁判所及び官庁、並びに公法の団体は、医療職に対する職業裁判所に職務共助と司法共助を行わなければならないことになっている。このことはドイツの基本法(憲法に相当)35条 1項の「連邦及び州のすべての官庁公的機関は、相互に司法共助(法律上の援助)及び職務共助(職務上の援助)を行う」に基づいている。

19世紀の後半にドイツ各地で、医師に職業義務を守らせ、医師職業の名誉を喚起することを目的として医師組織が作られた。そして医師の職業裁判所を国家レベルで作ることを提案したが、当時の宰相ビスマルクはこれは州レベルの問題であるとして、国家レベルにすることに賛成しなかったために実現しなかったという。しかし、医師組織はその後も活発に活動を続け、1935年に全国統一の医師の職業裁判所制度が実現した。しかし、敗戦によりドイツは連邦制に移行したため、その後は現在のように州ごとに医師の職業裁判所の規定が定められているとう経緯がある。

ちなみに、ある州の医師職業裁判所の制裁は以下のようになっているが、上述の判例が示すように、併科もできることになっている。

a.    注意、

b.    戒告、

c.    被選挙権の剥奪、

d.    100 000マルクまでの罰金、

e.    被疑者が職業に従事することが相応しくないという決定

なお、このような罰金は裁判の費用に当てられるが、もし年度末に余剰が出れば、医療職法で設置が義務づけられている医師のための福祉施設に寄付され、逆に裁判の経費が不足するときは、州が補助することになっている。

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 また、通常の比較的軽微な義務違反などは医師会の懲戒規定によって扱われるが、ある州の罰則は下記のようになっている。

a.    注意

b.    戒告

c.    罰金(250マルクから20,000マルクまで)

d.    2年以下の免許停止

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職業裁判所という制度は医師だけでなく、歯科医師、薬剤師、獣医師のような医療職にもそれぞれ存在する。職業裁判所の手続きは刑事裁判所の手続きと類似している。職業裁判所は通常の裁判所の下位に位置するが、医師職業規則などに規定された事項で、医師と患者間、医師相互間、医師会やその監督官庁と医師の間に生じた義務違反や倫理違反を審理して判決を下す。

患者の苦情を受け付けて審査する鑑定・調停機関は、これとは別個に医師会の中に存在するが、それを扱う法律家がしっかりしているので、医師会の中に設置されていても、患者の不満や不信はあまりないと言われている。ここでの調停結果は判決と違って拘束力はない。この調停に満足しないで、通常裁判所の事件に移行するケースもある。

 

諸外国に存在する各種の医師職業(倫理)規則は、その名称に違いがあっても、医師の守るべき義務や倫理を定めた規範である。これにより、総ての医師が倫理的医師になることを義務づけているといえる。

医療が高度複雑化するに伴い、それを実施する医師の義務や倫理に規範が必要となってきた。日本はこの種の職業規則を作っていないため、医師の守るべき義務や倫理が諸外国に比べていちじるしく不明確であるといえる。このことは職業規則を読んでみると理解できると思う。その結果わが国では、倫理基準は医師個人の主観に任され、強制的な力にも欠けるため、医師各自の自発的な努力によって倫理的な医師になってもらうことを期待することしかできない。また一方において、倫理的な医師を強制によって作れるものではない、とする見方も根強い。

不行跡を行った医師が他者によっていくら厳しく罰せられても、医師の信頼回復にはつながらない。医師が自らを律する規範を受け入れて実践しなければ、医師の信頼と名誉の回復はありえないとするのが先進諸国の考え方と受け止められる。

「医師は信頼される職業である」と一般に考えられているが、これは医師が義務と倫理を厳しく守ることを前提として確立された概念である。これを放置すれば、中世に「悪いことをするのに盗人と医者がいる」と言われた時代に戻ってしまいかねない。医師になれば、それだけで信頼されるようになると安易に考えることは危険である。もし、日本の医師がこのような奢った気持ちによって信頼(名誉)を損なう行為を重ねるようなことがあれば、外国が長い年月と努力を積み重ねて築き上げてきた医師という職業に対する信頼と名誉を損なうことになり、外国の医師に対して申し訳ないことになる。

(2000.12.30.記)