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M421

ドイツの医師職業義務裁判紛争処理

岡嶋道夫

目次

はじめに

I 医の倫理

II ドイツの医師職業規則

III ドイツの医師職業規則例示

IV 医師懲戒委員

V 医師職業裁判

VI 職業裁判判例

VII 医師に対する刑事事件

VIII 裁判紛争処理鑑定委員による調停

IX 米国裁判紛争処理

おわりに

はじめに

 筆者定年退職10年余りにわたってドイツの医療関係資料翻訳したり、紹介したりしてきたが、その主なものはホームページhttp://www.hi-ho.ne.jp/okajimamic/掲載している。このような仕事を通して、最近つぎのような悟りの境地とも言えるものを感じている。

真似できないことばかりであるが、ドイツのようなシステムを持つ国が実在することは知っておく必要がある」

本当にそうなのだろうか、という気持以下内容を読んでいいただくとよいかもしれない。

 その前にヨーロッパ連合公用分布を見ると、ドイツ語が9千万人で、英語フランス語、イタリア語の6千万人前後より多く、ヨーロッパにおけるドイツ語文化圏が大きいことにも注目していただきたい。

 また、ドイツにおいて、市民が高く評価している職業イメージ複数回答アンケート調査で調べたところ(1993年)、医師81%断然高く、次が聖職40弁護36教授33などとなっていた。このような医師という職業に対する高い評価現在も同じと言われている。医師への信頼確保するために払われている努力にも教えられることが多い。

 

I 医の倫理

生命倫理: 科学医療技術急速進歩関連して注目を浴びるようになった倫理で、脳死臓器移植体外受精のような生殖医学、胚、遺伝クローンなどが対象となるが、実際にこれに携わる医師は限られている。

日常医療倫理: 医療従事する全ての医師が守らなければならない身近職業倫理である。わが国では生命倫理と違って地味存在であるが、ドイツなど多くの国では重視され、医師職業倫理規則という形で医師義務倫理明文されている。さらにその細部拘束のある指針などで補われている。医学進歩社会多様対応するために、医療規範化が求められる時代となったが、ヒポクラテスの誓が時代要請に応えて姿を変えたものと見ることができる。

 

II ドイツの医師職業規則

 ドイツの医師は「ドイツ医師職業規則Berufsordnung für die deutschen Ärzte」を作成し、日常職業義務倫理医師理解しやすい文章明文している。この事実日本ではほとんど知られていなかった。

 この医師職業規則医師行動規範であり、医の倫理医師義務づける規則であって、かれらが「医師憲法」と表現するほど重要なものである。違反すれば罰則適用対象となる。つまり、全ての医師倫理医師になることを義務づけていることになる。

 わが国には、倫理各自の心の中にあるものであって、明文できない性質のものという感覚が根強いが、外国職業倫理規則を読んで考え直してみる必要があるのではないだろうか。

筆者はそのように感じているので、ドイツの医師職業規則全訳してホームページ掲載した。職業規則医師義務倫理時代要請即応するように、頻繁改訂が行われているが、推移訳文文字数で見ると、1970年版9000字、1993年版12000字、1997年版19000字となっている。1)

 

III ドイツの医師職業規則例示

  医師職業規則には数多くの規定が示されているが、ここではそのいくつかを取り上げみることにする。

1.良心職務従事」について

 医師職業規則につぎのような条文がある。

 § 医師はその職務良心に行い、職務関連して寄せられる信頼に応えなければならない。

抽象表現であるが、頻繁適用される重要判断基準である。

.開示」の義務化について

1995年に改訂された世界医師リスボン宣言に合わせるように、1997年には医師職業規則につぎのような条文が加えられた。

 § 医師は、患者要望があれば、原則として当人関連した診療記録を見せなければならない:医師主観印象または感知したことを含む部分除外される。請求があれば、患者費用負担させて記録のコピーを渡さなければならない。

 この時期に多くの国では、それぞれの国の職業倫理規則相当する規定に、開示義務明文された。日本では法制化するかどうかで議論が交わされたが、結局のところまだ明文されていない。

開示について、もう少し具体に述べてみる。これは2003年にドイツ連邦法務大臣保健医療社会保障大臣厚生大臣相当)の連名で出された「患者権利憲章2003年」2)にもつぎのように書かれている。

      閲覧権利は、医師主観判断および印象該当する記録には及ばない。

      閲覧制限は、精神診療領域および診療関係した人(例えば家族友人)の権利に触れるときに存在することがある。

このように明文されていると、医師開示義務安心して判断することができる。日本では議論無駄といえるような労力を費やし、神経をすり減らした。

.説明義務」について

 ドイツでは「説明Aufklärung」という一つの用語の中に、説明同意両方義務を含ませている。医師職業規則では、

 § 医師は、診療するには患者同意必要とする。同意には原則として、必要説明個人会話で先に行わなければならない。

という短い規定になっている。しかし、これを具体補足する詳細指針が二つ作られている。3) 4)一つはドイツ連邦医師のもので、説明に関する一般なことが述べられており、他の指針はドイツ病院協会が出したもので、主として入院患者対象としたものである。

 これらの指針の中からいくつかを拾ってみると、患者に対する説明は「侵襲に対する説明同意」だけではなく、「健康状態に適した生活方法をさせること、治療結果作用について時宜を得た報告をさせること」も含まれると書いている。

 また、「医師患者に、疾患種類重大性を示さなければ、危険と結びついた検査または治療について患者同意が得られないときは、医師は重い疾患場合であっても、患者説明することに尻込みをしてはならない」と書いてあり、ガンの検査治療のときには、患者にガンであることを知らせることになっているという。

 しかし、指針には次のようなことも書いてある。「医師疾病性質について、全部についての、また思いやりのない説明義務づけられているのではなく、人間遵守し(この部分表現正確翻訳することが困難)、情報を与える場合患者身体的および精神状態配慮しなければならない」。指針にこのように述べてあると、医師にとっては大きな救いとなるのではないだろうか。明文しても柔軟さや暖かさを含ませることのできる例ではないかと思う。

 

IV 医師懲戒委員

 ドイツでは、医師義務違反倫理違反に対する制裁2段階となっている。軽度違反は州医師懲戒委員審査され、有責と認められると以下のような制裁が行われる。

注意

戒告

5,000マルク(約2,500ユーロ)までの科料

資格免許停止2年まで)

手続は州によって多少異なる可能はあるが、軽い違反に対しては医師長が単独注意することができる。それ以外は州医師理事会が懲戒委員役目を果たす。これらの審査記録は、医師職業裁判一定期間保存されたのちに廃棄される。

 やや重い違反複雑なケースの場合は、州医師がつぎに述べる医師職業裁判手続申請するが、裁判判決による制裁以下のとおりである。

注意

戒告

選挙剥奪

10万マルク(約5万ユーロ)までの科料

職業を行う資格がないという決定

 職業裁判判決行政機関に直ちに伝えられる仕組になっているので、職業を行う資格がないと決定すると、行政医師免許剥奪することになる。

表1 ノルトライン医師医師監査報告

管轄地域人口930万人

 

2001

2002

2003

20005000マルクの科料

21

37

9

会長からの注意軽度のもの)

3

28

28

理事会による戒告

15

25

8

職業裁判申請

28

17

31

合計

100

107

76

 

 実際にどの程度件数が州医師懲戒委員処分を受けるのだろうか。ノルトライン医師統計発表しているので表1にまとめてみた。

 

V 医師職業裁判

 医師職業裁判医師義務違反倫理違反に対して制裁を科しているが、その性格刑事裁判と同じである。損害賠償慰謝料請求のような民事的な事件は扱わない。制度的に参審制と二審制が採用されている。

 参審制: 特殊専門領域裁判場合に、その方面に詳しい民間(ここでは医師)を名誉裁判として任命する方式である。この場合のように名誉という肩書は無報酬、つまりボランティアであることを意味する。

 二審制: 第一裁判3名で構成、その内訳専門裁判1名、医師推薦裁判が選んだ「医師名誉裁判2名である。

 第二審は裁判5名で構成内訳専門裁判3名、医師名誉裁判2名である。

 専門裁判通常定年退職した裁判担当し、通常裁判建物組織の中で医師職業裁判が行われる。

職業裁判性格

 医師職業裁判医師患者間、医師相互間、医師やその監督医師との間に生じた義務違反倫理違反審理して判決を下している。

 しかし、このような職業裁判は、医師だけのものではなく、歯科師、薬剤獣医師のような医療職にもそれぞれ存在する。また、弁護公認会計税理士納税代理4職種職業裁判を持っている。

 以上に述べた職業裁判Berufsgerichteは、以前名誉裁判Ehrengerichteと言われていた。その定義法律辞典Creifelds: Rechtswörterbuch)によると、つぎのように述べられている。

職業裁判は個々の職能階級懲戒裁判で、それを純潔に保ち、職業品位と相容れず、また職業身分名声を害する行為を罰するためのものである。処罰通常戒告科料さらには職業身分からの排除である」。

要するに、職業裁判手続刑事裁判と同じではあるが、上記定義に見られるように、処罰対象となる行為刑事事件と異なって幅広解釈されている印象を受ける。この点については、次章に紹介する判例を見ると、その特色理解できるのではないかと思う。

  職業裁判刑事裁判所の下位位置する。したがって、同一事件職業裁判刑事裁判所の両方審理が行われる場合は、職業裁判刑事裁判所の判決が出るまで審理停止する。

ある州の医療職法を見ていたところ、全ての裁判および官庁、並びに公法団体は、医療職に対する職業裁判職務共助司法共助を行わなければならない、と書いてあった。この規定基本憲法相当する)351項に基づいているので、ドイツでは役所などの間の縄張りは憲法で抑えているのではないかと思った。公法団体には医師保険協会疾病金庫連合なども含まれる。

 

VI 職業裁判判例

 医師職業裁判存在とその判例日本ではほとんど知られていない。なぜ見過ごされてきたのであろうか、という疑問が生ずる。

職業裁判設置手続規定しているのは各州の医療職法である。このような州レベルの法律は、州の法令集を入手しなければ見ることができない。図書通常備えている連邦法令集には含まれない。また、職業裁判判例は、民事刑事その他の連邦レベルの裁判判例掲載する判例集には収録されない。このように職業裁判は違った次元位置するために、法律医師はその存在重要性に気がつかなかったと推測される。

同様のことは医師職業規則についても言える。この規則官報の類には掲載されず、州医師雑誌掲載されることをもって公布とされている。したがって、医師職業規則医師資料医事規集あるいはモノグラフを開かないと見ることができなかった。しかし、最近連邦医師、各州の医師ホームページ掲載されている。

 医療裁判判例を集めた「医療裁判判例集」5)から、判例をいくつか紹介することにする。

判例1〈1991年〉:救急業務

夜間救急当番に当たっていた一般医(家庭)が、救急センター(事務患者医師連絡をとる)を通して午前435分に急患連絡を受けた。妻は心臓疾患既往はないが、呼吸と体を動かすことに関係のない胸部の痛みを訴えているという内容の夫からの電話であった。また、610分にも再度同様電話連絡があったが、医師二度とも電話指示を与えただけであった。735分にその患者家庭が診て心筋梗塞診断し、それはその後心電図で確認された。

医師職業裁判は、このケースは心筋梗塞のような重篤疾患を疑わなければならない状況であったのに、そのような判断をせず、患者家族のために往診をしなかったことは義務違反するとして、戒告2000マルクの科料を科した。

ドイツで30以上家庭として開業されていた柴田三代医師手紙の中で、「患者への処置電話指示で済ませることはできるが、私の場合は、初めての患者のときには、何があるか分らないので必ず往診して確かめることにしていました」と書いていた。

判例21999年〉:期限切れの薬

 ある医師救急期限切の薬を入れていた。また、診療にも期限切の薬を多量に残しており、また錆びた器具を使っていた。
 医師職業裁判は、その医師は「良心職業従事」の義務違反したと判断し、1500マルクの科料を科した。判例の中には医療上事故などの支障があったとは書いてない。これなどは、職能団体信頼に応えようとする職業裁判特色を現しているように思われる。

判例3〈1997年〉:ひき逃げ

   医師歩行をひき逃げして死なせてしまった。
刑事裁判では、10ヶ月の実刑3年間運転免許停止併科という判決

そして医師職業裁判は、ひき逃げしたときに、救急処置をするという医師としての義務を怠ったということで5千マルクの罰金を科した。

判例4(1984年):事実に反する研修証明

 研修医が外科専門認定を受けるために提出した手術のリストに、自分執刀していないかなりのケースを、自分執刀しているかのように書き込んだ。外科部長医は、書類ができているという医長言葉をそのまま受けて署名し、病院証明として提出した。
 医師職業裁判研修医に罰金2000マルク、外科部長医にはリストを抜き取り検査もしなかったということで罰金8000マルクを科した。しかし、第2審で部長医の罰金2000マルクに減額された。

 この他に、それぞれ性格の異なった4件の判例筆者ホームページ掲載しているので、興味ある方はご覧下さい。6)

 

VII 医師に対する刑事事件

 上記懲戒処分職業裁判手続とは別に、通常刑事裁判所において各種刑事事件手続が行われる。例えば、

 医療過誤各種過失による身体傷害致死

 説明欠陥

 組織上の欠陥

 援助(ケアなど)の不作

 守秘義務違反

 加罰的行為妊娠中絶安楽臓器移植避妊(断種)法、生殖医学など

 宣伝

 不正請求詐欺

 企業寄付にまつわる賄賂

これらの領域筆者能力を超えるので、本稿での解説省略する。

 

VIII 裁判紛争処理鑑定委員による調停

 裁判紛争処理について述べる前に、その根底となるドイツの独特制度について簡単説明をしておく。

 ドイツでは外交国防郵政現在民営化)、鉄道現在民営化)などは連邦管轄であるが、医療教育は州の管轄であった。文部は各州にあるが、連邦にはない。このようにドイツでは連邦と州の管轄複雑であるが、どのようなものが連邦あるいは州の管轄になるかということに関しては法則性がない。そのために不便を感ずることも多いので、連邦と州の管轄を見直そうということで、基本憲法改訂検討が始まったという。医療に関していうと、連邦保健医療社会保障省が一部権限を有するが、医療実際は州政府管轄の下にある。そして、医師監督する権限義務は、州政府が州医療職法に基づいて、医師自治組織である州医師委任した形を取っている。

 したがって、何れの州医師歩調を合わせて、医師監督する法的責任を負っている。州医師は州医療職法の中で、

      医師員が職業義務を守ること

      職業を高いレベルに保つこと

義務づけられている。それに基づいて、すでに述べた州医師懲戒規定職業裁判規定が定められているのである。

 州医師に課せられた任務には、さらにつぎのような事項がある:

      医師会員相互順調関係のために配慮し、職業従事から発生した医師会員同士の間、並びにそれと第三との間の争いを、医師として扱えるレベルのものであれば調停をする。

      診療過誤鑑定のための部署設立する。

以下10行ほどの文章200710月に表現を変更した。)

このような規定に基づいて、州医師1975年から1978年にかけて、患者からの苦情受付けて裁判紛争処理をする鑑定委員または調停所という機関設置した。その名称は州によって異なり、審理仕方多少違うが、目的裁判外の合意である。

      鑑定委員: 委員には裁判資格を有する者がなり、若干名の医師委員が加わるが、苦情対象となった医師と同じ専門領域医師を含め、医療過誤確認されるかどうかを鑑定する。

      調停: 医師委員となり、裁判資格を有する法律医師委員若干名で構成され、鑑定に基づいて損害賠償請求責任問題判断する。

鑑定委員または調停所は、米国裁判紛争処理参考にして、裁判処理しきれなくなった事件処理のために設立されたものである。

 書面審理方式で、必要書類診療記録など)は委員が取り寄せる。

 必要があれば鑑定を行うが、その頻度は高い。鑑定料は委員費用、つまり医師費用から支出される。鑑定が受け取る鑑定料には規定がある。

鑑定委員調停所の決定について:

 裁判判決と異なり、鑑定委員調停所の決定には拘束がない。

 当事一方承知しないと、裁判に進む可能がある。

 手続無料、つまり患者資料取り寄せや鑑定などの費用を支払う必要はない。

 しかし、弁護代理依頼するときは、その費用当事負担となる。弁護依頼する頻度は、患者場合半数ぐらいとのことであるが、賠償慰謝料の額を保険会社折衝する段階になってから依頼することが多いという。一方医師弁護依頼するのは数パーセント以下で僅かである。

 手続期間平均10ないし12ヶ月、この期間鑑定に要する日数影響される。

 これらの委員オフィス医師の中にあり、経費医師負担医師職員がこの業務を手伝う。

 委員は無報酬裁判資格を有する委員は、多くの場合定年退職した元裁判である。

 鑑定委員医師の中に作られたとき、医師有利判定がなされるのではないかと心配されたが、委員たちが中立立場を守り、公平判断を下してきたので、現在患者医師鑑定委員信頼満足している。

 このような苦情の中に医師義務違反が見つかれば、医師懲戒委員に回されて懲戒処分を受けたり、医師職業裁判手続に移されたりするが、刑事裁判になるものもある。

 患者苦情は、医師患者間の信頼関係原因することが多い。統計をみると、患者からの苦情件数毎年増加しているが、医師患者間の日常接触頻度、つまり診療回数増加していることと、患者権利意識向上していることを考えると、その増加をあまり深刻なものとは受け止めていないようである。つまり、苦情は増えても、医療事故割合悪化しているとは考えられていないからである。

 古い時代調停所は、患者よりも医師同士の間のトラブル処理することが主であったらしいが、現在医師同僚間の苦情軽度ながら増加しているということで、これは診療病院労働条件がより厳しくなっていることに原因があると思われている。

 ちなみにドイツの苦情処理係には、つぎのようなものがある(ドイツ柴田三代医師による)

a)      医師鑑定委員調停所)

b)      健保審査医事務所

c)      消費連盟患者連盟

d)      自助グループ(各慢性疾患にある)

e)      町村社会福祉事務

f)      病院苦情処理

鑑定委員及び調停所の活動を詳しく分類した全国統計毎年作成されているが、畔柳6)7) 我妻8)翻訳して紹介している。

 

表2 ドイツにおける鑑定委員調停所の業務

2000年度

ドイツ医師雑誌98(51-52):A-3424,2001より

 

新規受付

9666

前年度より

8138

処理

9244

翌年

8560

バーデン−ビュルテンブルク

1040

802

994

848

バイエル

485

731

430

786

ヘッセン

728

525

662

591

ノルトライン

1602

1264

1400

1466

北ドイツ

3744

3380

3590

3534

ザールラント

92

82

109

65

ザクセン

345

113

328

130

ヴェストファーレン−リッペ

1280

962

1320

922

インランファルツ

350

279

411

218

 

2000年にドイツの全鑑定委員調停所が扱った事件数を表2に示した。これは州医師別の統計であるが、その中にある「北ドイツ」というのは、ベルリンブレーメンハンブルなど9つの州医師合体である。歴史及び制度的な事情で、これらの9州は 一つの組織として活動しているためである。

これらの委員に寄せられる苦情には、医療過誤以外に種々なものが含まれる。たまたまノルトライン医師1995年に扱ったケースが報告されていたので、筆者図1のように図に構成してみた。これは、その年に医療過誤を訴えた773ケースの分析結果である。鑑定委員審査によって医療過誤が認められたものは37%となっており、最終的に調停成立しないで裁判になったケースは約10.5%である。このような傾向は、全国にほぼ共通しているといえる。

 このように、訴訟割合10パーセント程度減少させることができたのは鑑定委員、つまり調停の大きな成果と言える。

 

図1 医療過誤に対する鑑定委員実績 1995

ノルトライン医師人口930万、実働医師32,332

苦情1300件のうち医療過誤を訴えた773件について

鑑定委員裁判紛争処理として扱った結果

 

773ケース(100)

苦情1300件中の 60

 

287(37) 医療過誤を認めた

 

450(58) 医療過誤否定

483ケースのうち

 

36(5) 医療過誤確定できない

うち 3 医療過誤はないが説明不足

54(11)がさらに事件追及した=訴訟

 

290(38) 患者にとって好ましい結果

214(84)損害をうけた患者賠償保険損害及び慰謝料請求適用された

上記終結81ケース裁判に訴えた。訴訟割合10.5%に減少

裁判判決90%は鑑定委員判定に沿った結論となった

医療過誤がみとめられただけで満足金銭請求しない人がかなりいる

 

 

Berner:ドイツ医師雑誌 1999830

 

 

 

IX 米国裁判紛争処理

 最近わが国でADR(alternative dispute resolution)という名称裁判紛争処理が取り上げられてきているが、現実にどのような検討がなされているか筆者勉強のため、その詳細把握していない。また、米国調停arbitrationと言われているものが、どの程度紹介されているかについても案内であるが、仄聞するところでは情報十分とはいえないようである。

 筆者米国arbitration片鱗を知る偶然機会に恵まれたので、学術とは程遠い内容ではあるが、それについて経験談という形式紹介することにする。

 それは1999年の秋に私の友人である堀江医師昼食を共にしたことから始まった。堀江医師日本大学卒業米国留学し、内科専門資格を得てメイン州で30年あまり開業された方である。堀江医師食事をしながら喋ることを私は必死になってメモしたが、その中に米国arbitration紹介があり、その要点以下のとおりであった。

 メイン州では、患者裁判直接訴えても受け付けてくれない。裁判は、あらかじめmedico-legal panel審査を受けるように指示する。Panel法曹の者と医師構成され、委員ボランティアで無報酬審査費用無料Panel医療過誤かどうかを判定する。訴えのなかに医師免許資格に関わるようなことがあれば、当局報告する。Panel中立的に判断するので、一般からの信頼は厚い。

 Panel判定裁判判決のような拘束はない。

 医師に落ち度がないとPanel判定すると、裁判に持ち込んでも患者に勝ち目はほとんどない。Panel経費医師から徴収するが、訴訟が減るので医師納得している。

 以上の通りであったが、そのころ私はドイツの事情をほとんど知らなかった。その後ドイツに鑑定委員というものがあり、堀江医師の述べたpanelと同じような手続機能を持ち、裁判紛争処理成功させていることを知った。そして、2003年にドイツの鑑定委員紹介する内容手紙堀江医師に送った。同時に、藤田康幸弁護が教えてくれたニューヨークタイムズ紙の2003316日号に載ったarbitration記事も送って意見を求めた。

 ところで、堀江医師奥様麻酔であった方で、arbitration興味を持ち勉強しておられたので、ご主人堀江医師を通して以上のような貴重情報が得られたのである。堀江医師は私の手紙奥様に見せたところ、間違いはなく、別にコメントすることもないとのことであった。そして、米国arbitrationやドイツの鑑定委員は良い制度だと思う、判定が早いし、患者医師も別に弁護費用を出す必要もなく、ほとんどのケースがarbitration解決するのですから、と結んであった。

 その後、米国医事に関する司法制度を州別に紹介したインターネットのサイト9)arbitration項目(これも藤田康幸弁護が教えてくれた)を調べる機会を得た。筆者米国法制度や法律用語を全く知らないので、内容把握することが難しかったが、arbitrationに関していうと、その制度は州によって著しく違うことが明らかになった。例えば、ニューメキシコ州では、裁判の前にarbitrationを行うと一行いたあるだけの単純明快なものであった。全部の州に目を通す余裕はなかったが、多くの州ではarbitrationも行うことができるという表現になっていて、arbitration採用程度やその重みは様々である印象を受けた。極端なのはペンシルバニア州で、arbitrationという制度は、憲法で定められた裁判を侵すという考えもあると書いてあり、arbitration否定である印象を受けた。それと関係あるかどうか分らないが、ペンシルバニア州では医師医療過誤で訴えられるケースが多く、賠償保険保険の値上げが続き、医師の中には他の州に逃げていきたいと言う者もかなりいるという。堀江医師の住んでいるメイン州は、逃げていきたくなる先の州になるらしい。

 このように米国制度は州によって著しく異なるので、巾広く研究することが必要である。上述ニューヨークタイムズには、arbitrationがうまくいかない州のことが紹介されていた。そこでは、調停委員報酬を支払っているが、報酬額は次第上昇するため、患者費の負担は大きくなる。しかも、arbitration判決のような拘束がないので、もし不調に終って裁判を起すことになると、患者arbitration裁判費用二重負担することになり、arbitrationにかかった費用無駄になる。また、委員報酬を支払う制度だと、次期委員に選ばれたくなり、判断迎合的な要素が入りうる、ということも書かれていた。ドイツやメイン州では委員は無報酬である。私たちにとっては考えにくいことかもしれないが、調停arbitration運営する人間叡智なのかもしれない。

  昨今日本でもADRあるいは第三機関による医療事故処理が大きく取り上げられるようになってきたが、外国事情をよく分析しながら日本が何を目指したらよいかを考えてほしい。

 

おわりに

 医師職業義務日常医療倫理常識的に分っていることが多いが、これを守れない医師はどこの国にもいる。ドイツなどでは、これを明文して義務づけ、各種懲戒制度によってその質を確保している。日本では明文されていないためその判断基準不明確であり、義務づける手段と力を欠いている。具体実効のある制度を作らなければ、医の倫理混沌百年河清を待つ結果となるだけである。

 本文では述べなかったが、ドイツでは医師懲戒制度弁護同質で、いずれも法律によって規定されている。日本弁護もこれに倣って法律で定められているが、医師には及んでいないため、行動の遅い医道審議に頼らざるをえなくなっている。この辺の分析については後日報告することにする。

 医事裁判紛争処理は、患者にできるだけ経済労力負担をかけずにその苦情を訴えることができて、しかも速やかに処理できるシステムが望まれる。このような制度1970年代米国とドイツで試みられたが、ドイツでは成功して定着し、一方米国では全般的にみて成果を挙げていない。その意味でドイツの制度魅力を感じるが、ドイツのような制度実現させるためには、例えば書類審査だけで審理可能となるような診療記録作成医師の間で定着すること、鑑定適正鑑定料を定めて迅速かつ厳格に行われること、中立的な審査が行える人材配置することなど、日本現状をはるかに超えた医学教育倫理義務向上への努力が伴わなければならない。

 

文献

1.   岡嶋道夫ホームページ http://www.hi-ho.ne.jp/okajimamic/ ファイル D101, D118, D119

2.   同上ファイル D127

3.       同上ファイル D122

4.       同上ファイル D123

5.   Heile, B., Mertens, K., Pottschmidt, G. & Wandtke, F.: Sammlung von Entscheidungen der Berufsgerichte für die Heilberufe - HeilBGE -. Deutscher Ärzte-Verlag, Köln, 1999.

6.   畔柳達雄:現代不法行為事件裁判紛争処理機構−ドイツにおける「医療事故鑑定委員調停所」管見. 判例タイムスNo.865: 38-69, 1995.

7.   畔柳達雄:ドイツにおける「医療事故鑑定委員調停所」管見. 法の支配, 111: 1-57, 1998.

8.       我妻学:ドイツにおける医療紛争裁判紛争処理手続. 東京都立大学法学雑誌45(1): 49-97, 2004.

9.       http://www.mcandl.com/states.html

 


 本稿は20031116江戸医師での講演江戸医学会誌Vol.21,2003)、2004926日日医学協会での講演医学医療No.451/452,2004)及び2004514PMセミナー患者のための医療ネット)で発表した内容大幅に筆を加えたものです。

20041231日                      岡嶋道夫