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このファイルは: http://www.hi-ho.ne.jp/okajimamic/m426.htm

 

M426

ドイツにおける裁判紛争処理とそれに関連する事項

東京医科歯科大学名誉教授 岡嶋道夫

 

資料作成経緯について

 

平成193月、厚生労働

診療行為関連した死亡死因究明等のあり方に関する課題検討方向

というテーマでパブリックコメント募集した。これは最近大きな問題となっている診療関連死の届出死因究明調査方法とその組織再発防止行政処分民事紛争及び刑事手続などについて、裁判紛争処理も含めて、今後施策に当っての意見を求めるものであった。

 筆者はドイツの制度を調べているが、ドイツはこれらの問題厳格に、しかも効率処理するシステム構築しているので、その立場日本問題を眺めてみることにした。両国医療事情はいちじるしく異なるので、今回施策直接参考となることは少ないが、将来への視野を広げるのに多くの示唆が得られるものと思い、厚生労働送付することにした。

 その内容目次に示すように巾広いものになっているが、日本報告されたり、論じられたことのないものも少なくないと思う。舌足らずの記述もあるが、今回はこの程度でまとめた。

 厚生労働ホームページ掲載されたコメントでは投稿者は匿名となっている。また他資料へのリンクが無効になっているので、このファイルのリンクをご利用いただきたい。このファイルでは誤字訂正しているが、内容的な変更は行っていない。

    2007530

okajimamic@hi-ho.ne.jp

 

 

目次

はじめに

1.ドイツの死亡診断書と記入要領 医療事故の場合

2.医療事故で患者が死亡した場合は?

3.裁判外紛争処理の成果 死に至らない診療過誤も含めて

4.病院における安全管理と質向上

5.ドイツにおける裁判外紛争処理の事例

  事例1 心筋梗塞   事例2 褥創   事例3 腸手術

6.裁判外紛争処理への追加

7.カルテ記入が正しく行われていれば

8.医事紛争と賠償の額

9.ICD−10 Y60以下との関連は?

10.鑑定について

11.医師の自律規範と日独比較

おわりに

 

はじめに

 

意見募集中の案件に対して直接意見提示する体裁にはなっていないが、関連する諸問題にドイツがどのように対応しているかについて、筆者の知る範囲で書くことにした。

日本とドイツの社会類似した法体系の下あると考えられるが、医療現状には大きな違いが存在する。ドイツの医療充実した医学教育先進的な医療制度に支えられて、国際に高い水準に達している。医療事故に対する裁判紛争処理は、ドイツが1975以後もっとも力を入れている制度の一つであるが、担当者の努力結果患者医師双方満足するレベルに達し、患者権利への配慮医療安全へのフィードバックなど、大きな成果をあげているので、そのシステムとその実現可能にさせている各種要素について述べてみたい。

ここでの記述は、現在わが国で目指している施策直接結び付けられる性質のものではないが、その中から何らかのヒントを得ることは可能であり、また将来構想模索する場合に新しい視野提供できるのではないかと考える。

 

 

1.ドイツの死亡診断記入要領 医療事故場合

 

今回課題医師21条に関連があるので、ドイツの死亡診断について触れてみたい。日本と違って、他の諸国と同じように死亡診断死体検案区別はない。

医師21条の「異状」の意味が大きく問われているが、筆者印象では「異常」と発音が同じであることもあり、何となく「悪いこと」「嫌悪すべきこと」のニュアンスを醸し出しているように感じられる。この表現が、ドイツなどのように「自然でない場合」と科学に書かれていたら、現状のような混乱はある程度まで避けられたのではないだろうか、と考えさせられる。

ドイツの死亡診断書とその記入要領全訳筆者ホームページで示したが、用紙5枚のカーボンコピー方式になっており、1頁目とそれ以下の頁では記入項目が異なるなど複雑書式になっているので、その辺は写真でご理解をいただきたい。

ところで、ドイツの死亡診断では死亡種類記入欄は、

自然  自然でない  自然自然でないかは不明

3分類になっていて、日本のように医師自殺他殺災害などの分類を書き入れる必要はない。ドイツの場合、「自然」というのは法的問題となるような外的要素がないということを意味するだけであって、「自然」や「自然でない」についての法的定義はない。自然でない場合の詳しい分類は、捜査能力を有する警察が行うことになるが、これは日本実質に同じである。

米国では自然でない場合監察かコロナーに届出るが、届出を要する条件は、州によってその表現が著しく異なっている。米国監察はある程度捜査機能を有するが、犯罪を知ったときは警察連絡して捜査依頼する。

ドイツでは、医師死亡診断下記のようなエピクリーゼの欄に記入する義務があるが、記入要領には、医師には犯罪あるいは法律的な立証を求めない;記述は、自然に関して捜査をさらに行うかどうかの決定に当たっての助言を求めるだけのものである。」明記してある。

 

死亡診断N-W州)の一部

20 エピクリーゼ(epicrisis症例分析批判総括) 
死因追加する事項用紙I 項目14)で必要であれば
(例、災害中毒暴力自殺ならびに医学処置合併:_________
傷害外的原因経過について述べる):___________________
中毒場合方法についても付け加える __________________

 

この死亡診断1997年に改定されたものであるが、それ以前には医学処置合併という項目存在しなかった。

同上死亡診断記入要領には次のような注意事項も書かれている

10.      意図不正記載を行うことが犯罪行為であることは明示されている。

11.      死亡種類不明、あるいは自然であるときは、医師は −刑を無効にする行為という非難を受けないために− 死亡確認したあと直ちにそれ以降死体検査中断し、遅滞なく警察通知し、警察到着まで死体発見現場変化が加えられる可能防止する。死体個人識別が明らかでないときは、医師警察通知しなければならない。

 

また、教科などには、死亡診断を書く場合医師患者主治というそれまでの関係は打ち切られ、国家に代わって死亡確認するという厳正任務を行う立場になる、という心得が述べられている。

 

2.医療事故患者死亡した場合

 

Madea & Dettmeyer2003)は、ドイツ医師雑誌に「医師による死体検査死亡診断」という長文論文を書いている。その主たる目的は、十分死体検査のために多数犯罪が見逃されているので、死体外表検査を詳しく行うように、という指導である。そのような関連死亡診断に次のような記入項目2004年に追加された。

『私は背部頭皮部及び全身開口検査しました。 □はい □いいえ』

この論文最後に、「医原性iatrogen死亡が疑われる場合行動」について述べているので、その部分紹介する:

重症でなく、死を予測しない状況患者死亡した場合処置した医師原因が分からなかったり、全貌把握できなかったりする。このような場合は、たとえ担当医がそれによって、場合によっては刑事捜査にさらされることになっても、「死亡種類自然自然でない、自然自然でないかは不明、の3分類)」は不明ということで捜査当局届出る方がよい。

ドイツでは、誰も自らを刑事捜査にさらけ出さなくてもよいという法制度が適用されているが、同時死体検査する医師に対しては、検査に当って慎重かつ良心に従って判定することが適用される。これは医原性事故を引き起こした医師においても同様とされる。

通常死体検査ですむか、それとも検事捜査手続対象となる危惧があるかの対立となる。そのような利害対立の中にある医師は、同僚医師死亡状況についての情報を伝えて死体検査実施依頼することもできる。病院では業務指導として、そのような場合当該医師自身死体検査をしないと規定したらよい。

死亡種類自然にしてしまって、愉快なことを避けて通ろうとすることは思い止まるべきである、なんとなれば −後になって医師に対する容疑事実が騒がれるようになり、死亡例が当局の知るところとなるかもしれない− 医師診療過誤可能隠蔽しようとしたという不信にさらされることになるからである。

死因客観解明され、これらの基礎の上に診療過誤問題診療過誤と死を来たした因果関係が明らかになる。

そのような場合法医解剖実施医師利益にも役立つ、それは解剖によって基礎疾患死因客観解明され、これらの基礎の上に診療過誤問題診療過誤と死を来たした因果関係状況が明らかになるからである。』

Madea, B. & Dettmeyer,R.: Ärztliche Leichenschau und Todesbescheinigung. Deutsches Ärzteblatt 100(48): A3161-A3179, 2003.

 

以上とは別になるが、早稲大学法学卒業後ドイツの医学卒業し、ドイツで30年あまり開業していたドイツ人医師柴田三代治氏は、数年前日本の新聞を見て、質の低い医療事故が多いことに驚きを示していたが、ドイツでは失敗は罰せられない、しかし医学基本能力欠陥があると認められれば罰せられる、と述べていた。

多くの国の拘束を有する職業倫理規則では、医師は常に自分能力限界を知らなければならない、能力限界を超える時は他の人に依頼しなければならない、という趣旨規定存在する。医師免許は、医師として自立して行動できることの証明であるが、同時自分には何ができて、何ができないかを医学的に見極める能力を身につけることも求められる。米国医学教育を受けた赤津晴子医師も、このような医学認識が持てるようになることが卒前教育目標の一つであって、医師免許条件であることを講演で強く述べていた。この認識医師にとって生涯必要である。ドイツの部長医は、部長就任時に病院開設者との間で部長契約という膨大内容契約を結ぶが、配下医師がその能力に応じた研修業務を行うように監督する責任がその中に含まれている。

日本では自由標榜制が残存し、欧米のような専門制度と卒後研修規定未熟であるため、患者安全を守るのに必要とされる能力を身につけているかどうかを自己評価する意識十分のまま、研修不足実力相応医療行為を行って発生する事故が少なくないのではないかと推測される。このような認識不足は卒前・卒後の医学教育環境にも由来すると思われるが、それをどの程度まで医師本人基本能力欠陥とみなすかが問題である。医師としての基本欠陥とみなした場合懲戒ないし刑事制裁対象として扱うべきかどうかを検討する必要がある。またそれが損害賠償請求対象になるかについても明らかにする必要がある。

 

3.裁判紛争処理成果

死に至らない診療過誤も含めて

 

死に至らない診療過誤を訴える患者の数は多い。このような場合民事裁判になる前の裁判紛争処理ADR注目されているが、それにはmediationarbitrationなど、色々な方法がある。日本では、目下のところmediationについて実用化への積極な試みがなされているが、arbitrationについては情報が少ない。Arbitration米国一部とドイツ全体実施されているが、ドイツではこれによって訴訟の数が著しく減少し、この解決方法患者医師一応満足しているという大きな成果を挙げている。このようなドイツの裁判紛争処理については、畔柳達雄(19951998)が現地において実務に関するプロセス仔細調査しており、我妻学(2004)はその組織処理手続成果統計などを余すところなく紹介している。

畔柳達雄:現代不法行為事件裁判紛争処理機構―ドイツにおける「医療過誤鑑定委員調停所」管見―.判例タイムス、No.865: 38-691995

畔柳達雄:ドイツにおける「医療事故鑑定委員調停所」管見続報).法の支配No.111: 1-571998

我妻学:ドイツにおける医療紛争裁判紛争処理手続東京都立大学法学雑誌 45: 49-972004

ドイツの裁判紛争処理は、各州が州医療職法の中で、州医師がそのような機能を設けることを義務づけていることから出発する。州医師に設けられた鑑定委員または調停所とう名称委員によって行われるが、州によってこのように名称が異なり、委員構成審査手続多少異なるが、本質には同じ機能発揮しているといえる。

患者鑑定委員調停所に苦情を訴えれば、無料審査をするので患者経済負担はかからない。医療過誤の訴えに対して、鑑定委員調停所は患者記録などの関連する資料を取り寄せるが、当該医師前後診療した医師病院記録も集める。請求された医師はコピーを作成してオリジナル提出する義務があり、守秘義務から解除されることが規則明示されている。

審査書面審理原則であるが、多くの場合鑑定が行われて判断基準となる。弁護費用当事負担するが、この段階では弁護を頼まなくて済む場合が多い。裁判紛争処理医療過誤が認められる割合は約30%である。裁判紛争処理医療過誤があるかないかを判断するだけで、損害賠償慰謝料の額の算定には関与しない。

委員決定診療過誤が認められれば、患者はそれを根拠にして損害保険会社に対して損害賠償慰謝料請求を行うことになるが、その折衝素人には難しいところがあるので、この段階になって弁護依頼することが多い。一方医師の方は、裁判紛争処理弁護依頼することはほとんどない。

しかし、裁判紛争処理決定は、裁判判決と違って拘束を有しないので、その決定納得できなかったり、損害賠償の額に不満であったりすれば裁判となる。裁判移行するケースは10%から15程度であるが、裁判判決90%近くが鑑定委員調停所での決定に沿った形となっている。しかし、裁判では、裁判紛争処理でなされた決定考慮されない。

鑑定委員調停所の経費医師負担し、医師建物職員を使って行われる。審査核心となる鑑定頻繁に行われるが、鑑定料は法律規定した計算方法算定され、医師または損害保険会社が支払うので、間接医師負担していることになる。

膨大作業を行う鑑定委員調停所の委員は、通常医師及び法律定年退職した裁判規定している州もある)であるが、医師の他の委員委員同様に無報酬である。米国一部のように、委員報酬を支払い、それを患者負担させると、裁判紛争処理のあとに裁判移行した場合、その分の患者負担無駄になった結果となるが、ドイツではそのようなことはない。

医療過誤の訴えは州によって数が異なるが、大雑把に言えば人口1万につき年1件強といった程度である。その数は毎年増加傾向にあるが、ノルトラインの医師分析によると、患者権利意識向上によるところが多い。しかし、医師患者の接する頻度上昇考慮に入れると、医療行為数に対する医療過誤数の割合は増えていないという安心感を示している。また、2006年の報告書では増加が止まったようにも見受けられる。損害賠償慰謝料の額については後述する。

以上のようなドイツの裁判紛争処理は、理想に近いものと言えるかもしれないが、わが国への導入を考えてみると、以下のような理由困難であると思われる。

ドイツでは書面審理が主で、カルテなどの患者記録に基づく審査である。これは口頭審理場合のような交通費は省けるし、出頭する当事時間調整に費やされる審理延長もないという利点はあるが、このような審理方式にはすぐには馴染めないであろう。

わが国のカルテ記載十分であり、カルテ改ざんに対する罪の意識が低く、無処罰に近い現状では、書面による審理大変困難であると思われる。

医師診療記録提出してくれない場合が少なくないと思われる。

 信頼できる医学鑑定を得ることが難しい。

ドイツのように、患者経済及び労力負担軽減し、訴えやすくすることは、弁護依頼したり、証拠保全費用手間を掛けなければならない日本現状では難しい。ドイツの裁判紛争処理は、医師裁判のように対立するのではなく、協力することで成立している平和的な解決である。

委員に無報酬ボランティア名誉)で働いてもらう習慣がない。

 

 以上裁判紛争処理を詳しく紹介したが、今後日本で求められることは、ドイツのように、死に至らない比較軽微診療過誤においても患者が訴えやすくすることであろう。

 

4.病院における安全管理と質向上

 

ドイツの病院リスクマネージメント熱心取組んでいる。その一つは、患者入院した場合全員医療事故報告用紙が割り当てられ、入院から病院を離れるまでの間に起ったあらゆる事故記入することが義務づけられたことである。事故が起ったときだけ報告するのではない。

報告用紙は、転倒(その状況やその前の服薬など)、処置投薬に伴う各種コンプリケーション院内感染放射関連問題、その他の項目分類されているが、例えば自殺兆候や褥創/程度など、数多くの事項について細かく記入することになっている。この報告書の作成厳格に守らなければならない拘束スタンダード)を有している。この用紙はドイツ病院協会販売しているが、カーボンコピー4構成で、宛先患者記録、質マネージメント係、看護業務指導部及び家庭となっている。

 

5.ドイツにおける裁判紛争処理事例

 

ドイツでは裁判紛争処理事例発表し、医療過誤再発防止活用する努力がなされている。いくつかの鑑定委員調停所は扱った事例ホームページ出版発表している。また、医師生涯研修でも、このようなケースが頻繁に取り上げられている。

筆者120以上事例報告の中から、専門にあまり偏らないと思われる題名事例3例読んでみたが、その内容以下に示すとおりで、いずれの事例大変示唆に富むものがあり、ドイツの医療レベルを伺い知ることができる。今後4例目、5例目と読み進めれば、さらに多くのことが学べそうである。

 

事例1.北ドイツ調停所の報告

一般医学家庭)−心筋梗塞における医師能力不足

 

 胸部疼痛10%が心筋梗塞塞栓によるが、家庭はその危険に常に注意し、対応できるようにしなければならない。以下翻訳省略するが、患者への誤解のないような助言・・・、このような助言を行ったことをカルテに記録することも必要」といった基本一般事項冒頭記述している。

因果関係

45歳の患者200085日に救急業務当番についていた家庭受診した。上半全体両手ならびに頭部に広がる胸部疼痛を訴えたが、心電図検査した。この患者同年8月7日に再度受診したが、改めて心電図などの検査実施した。医師23時間後に患者病院に送ったが、患者病院まで自家で行った。 その医師は、心筋梗塞最初検査で認めらないとしたために治療が遅れたという非難を受けることになった。

医師患者非難に対して、患者胸部背部の痛みを訴えていたが、右腕放散する不快発汗はなかった、そして心電図を含めた臨床検査ははっきりしないものであった、87日の再検査によって始めて明瞭になり、更なる検査指示し、病院転送に至った、という見解を示した。
鑑定

これに対して鑑定は、85日にはすでに病院転送必要であって、それをしなかったのは回避可能過誤とみなされるという鑑定結果を出した。 鑑定細部によると、85日の心電図にはすでに梗塞を示すものがあった。その時の患者の訴えと合わせると、その時点強制病院転送することが必要であったと思う。このようなケースに対して定められた患者搬送手段選択すべきであった。87日に自家病院搬送したのは過誤であると鑑定認定した。【筆者:ドイツの救急には、医師同乗救急救急士だけの救急救急士は乗っているが患者病院搬送するだけが目的救急3種類がある。この鑑定は、心筋梗塞のような緊急性のある患者場合には、医師同乗救急手配すべきであるのに、これを怠って自家時間をかけて病院に行かせたことを過誤認定したと思われる】

鑑定は、心臓学的所見にもとづいて、患者には医師過誤によって継続的(あとに残るような)健康障害発生しなかったものとした。
調停

調停所はこの鑑定を受けて、同様に、回避可能過誤存在したとした。その過誤というのは、最初心電図の誤った解釈85日に病院転送しなかったこと、ならびに87日に起った転送のさいの十分搬送条件である。調停所は、心臓臨床所見により、患者健康障害2日間続いた胸部回避可能疼痛限定されるとした。そして調停所は、患者請求はこの点(2日間苦痛)に関するかぎりでは根拠があると考えた。

Prof. Dr. med. Gisela Fischer 調停所の医師委員

Erschienen im Niedersächsischen Ärzteblattニーダーザクセン医師: 07/2003 発表

 

本件では後遺症のような障害は残らなかったが、最初診断の誤り、救急手配不備といったものを過誤として指摘しているので、日常診療における注意義務具体に示されていると言える。患者は、調停所のこの決定に基づいて保険会社損害賠償または慰謝料請求したと思われるが、そこまではこの報告書では述べられていない。

 

事例2.北ドイツ調停所の報告

「褥創予防賠償責任法の視点


因果関係

72歳の女性患者両側関節関節疼痛収縮を伴った関節歩行不能強度栄養及び体力減退下肢肉の顕著活動萎縮。その他に血圧糖尿及び慢性線維肺炎があった。人工関節装着で痛みを除き、再可動に努める予定であった。入院には褥創はなかった。

 患者入院翌日手術片側人工関節装着)。術後2日目尾骨初期褥創が確認された。これはその後の3週間入院治療治癒した。術後4日目に他の褥創が右踵に確認された。この潰瘍長期間治らなかった。踵の褥創を確認した日に看護業務により所定用紙で「褥創申告」がなされた。 この申告受取人はこの用紙からは明らかでない。さらに、褥創の確認された時点で、褥創リスクの決定Nortonスケールによってなされた。評価19点で高いリスクであった。

患者家族上記病状からすでに手術前に高い褥創のリスクが始まっていたとした。手術前にも手術後にも褥創予防処置は取られなかった。もし、これが行われていたら、予防できたかもしれない。褥創が現れたことにより損害賠償請求が生じてきた。しかし、褥創の治療についての苦情は言われなかった。

 請求を受けた病院の側からは、褥創は適時発見され適切処置されたという看護報告関連した医師見解が出された。請求者がはっきりと訴えた褥創予防不作については、この書類では触れていない

調停所から依頼を受けた鑑定は、診療記録評価して記載不足確認した。医師経過報告終了報告に褥創の出現所見記載及び処置に関する記述がなかった。看護記録では、術後日目に踵の褥創が出現した後に初めて褥創について報告している。この時点から看護側で予防及び治療処置正確記録がなされている。鑑定は、最初5日間に褥創予防記録されていないことを評価から外した。寝かせられている体位であるから、はじめから高いリスクが存在したはずである。両方の褥創はこの高いリスクに起因するとした。そして鑑定は、診療過誤が認められないとした。

 調

調停所は医師処置過誤がないという立証を受け入れることが出来なかった。治療記録の中には、治療5日目の褥創確認までは計画な褥創予防指示実施が全く示されていない。ここに法律的に決定記録不足存在する: 連邦通常裁判BGH)の判決(1986)によると、「褥創の深刻危険存在する入院患者病歴の中に、危険体位(褥創−リスク)と医師指示する予防処置記録する」と書いてある。
 本件における記録不足は、立証責任医師側に移すことになる。鑑定は、正しい褥創予防をしていても褥創の発生は起りうるということを承知している。しかし、この場合は、不作予防が、現実に褥創を発生させたとするのが適当であるとした。そのようにすることにより、立証責任転換立場根拠として因果関係存在するものと認められた(立証責任転換については下記筆者参照)。それにより請求があるとされるのは以下のとおりである:

- 褥創によって生じた疼痛

- 踵の褥創が治癒するまで退院時期を超えた治療期間延長

- 踵の褥創による再可動侵害

調停所は、損害賠償請求はこの範囲では根拠があると考え、裁判外の調整を薦めた。(筆者保険会社損害賠償慰謝料について折衝することを申立人に薦めたという意味である)

Prof. Dr. med. H. V. 調停委員

Erschienen im Niedersächsischen Ärzteblattニーダーザクセン医師雑誌: 02/2004発表

 

筆者注: 立証責任転換というのは、患者にとって負担の重い立証責任軽減する方法であるが、連邦法務大臣連邦保健医療社会保障大臣連名によって2003年に出された「ドイツにおける患者の権利 患者と医師への手引き2003」(通称患者権利憲章)に書かれている箇所引用すると以下のとおりである。

損害賠償請求は、裁判外または裁判において行使することができる。・・・医師損害賠償請求訴訟では、患者原則として医師義務違反、生じた損害損害に対する過誤因果関係、ならびに加害過失を述べ、否認場合立証しなければならない。重大診療過誤存在するような場合などには、患者のためになるように、立証責任転換(Beweislastumkehr)、つまり加害反証しなければならないこと、に至るまでの立証責任緩和作動する。争われている場合には、患者規則に適った説明をしたことの証明は、診療をした医師義務がある。記録欠如があるときは、医師に対して、記録されてない処置は行われなかったものと推定される。」

本件場合医師記録に褥創についての記載がなかったので、立証責任転換により医師側に立証責任が移り、医師は褥創に対して予防を含めた処置をしていなかったとみなされたことになる。医師が、その時気がついていたが、カルテに記入しなかっただけだと主張しても、裁判記録されていない事実観察しなかったこと、処置しなかったこととみなして患者有利判断するのが立証責任転換である。この場合医師が踵の褥創に気づいて予防をしていたように後日病歴に書き込むようなカルテ改ざんを行うと、刑法不真正文書作成ファイル5頁の付記条文の訳)に関連した刑事事件被告にされて大変なことになる可能がある。ドイツの医師はそのような危険を冒すことはしないで、たとえカルテに不備があるのに気づいても、そのまま提出する方がよいと考えている。

事例1と2の出典北ドイツ調停所

 

事例3.ノルトライン鑑定委員報告

「腸切除過誤 ガンの確認をしないで行った回避可能根治手術
 

事件経過

70歳の男性患者内科が便潜血反応陽性を認め、内視鏡検査のため病院内科部長医に紹介した。714日の検査で右大腸出血で短い有茎性のクルミ大の腫瘤確認接触出血のため組織検査用の試料採取できなかった。そこで開腹による切除提案した。

717日に内科入院前年経験した心筋梗塞以前心血疾患のため手術適応検討したところ、問題なしということで723日にその病院外科に転科した。

手術処置

手術725日に行われた。手術報告書から以下のような経過が分かった:開腹後、腹腔臓器触診上行結腸を半ば上行した部位に、腫瘤を触れた。ガンの転移確認できなかった。悪性腫瘍想定して、横行結腸半分まで上行結腸を含めて剥離遊離させた。これに先立ち、大彎剥離し、Arteria colica media確認し、横行結腸切除予定箇所を糸で印をつけた。続いて、虫垂大腸上行部後腹から剥離上行結腸彎曲部と横行結腸剥離する際に静脈出血が起った。その時点まで助手であった部長医は、術者となった。Overholt鉗子をセットするときに、Vena mesenterica cranialis(V.m.c.間膜静脈)につながる出血中の損傷がさらに広がった。状況の詳しい描写によると、出血している静脈は非吸収(Prolene 5x0)結紮された。

出血が止まったあと手術は進められた。そのさい、術者は、切除予定境界である回盲弁より口側10cmからさらに15cmほど上部に至る小腸血流不足示唆するような青色になっているのを見つけた。そのため、この部の腸はあとで切除した。続いて小腸横行結腸stapling deviceで継ぎ合わせ、大腸小腸開口は閉じられた。手術の終わりごろに、術者結紮した間膜静脈部を調べて出血していないことを確認した。吻合部の近くと小骨ドレーンは、右腹部の別の切開創から体外誘導した。術創を閉じたあと、患者人工呼吸をつけて15時ごろに集中治療に移された。

切除された腸の病理組織検査3.8cm大のポリープがあり、組織的には良性tubulovillous adenomaであった。前ガン段階異型細胞は、組織標本確認されなかった。

手術

  65/30mmHgという低い不安血圧輸血輸液及び強心剤Dopamin)で対応。しかし、16:45ごろに大量腹腔出血により強いショック状態となり、止血のための手術適応となった。

開腹すると、腹腔1,200ml新鮮血が貯留していたので、これを吸引した。ついで、出血している血管を見つけた。血管縫合止血しようとしたが成功しなかった。そこで、出血タンポンをして創を閉じ、患者ヘリコプタ大学病院外科移送する決心をした。

大量輸血凝固因子状態を落ち着かせて、726日にかけての夜に手術が行われた。腹膜小腸すべてにわたって出血間膜起始部に大量血液浸潤確認された。V.m.c.領域大量出血のため十分状態把握できなかった。小腸全体血行不全を明らかにできなかったので、24時間後に腸の状態再検査することとし、ドレーンをおいて創を閉じた。

727日の手術の際には、V.m.c.完全凝血閉塞し、小腸全体壊死状態であった。そこで、小腸大腸一部切除し、十二指腸下行結腸吻合した。

 その後、血症性の体温が続いた。その直後から集中治療が続けられ、82日と7日に腹腔手術により修復が行われたが、922日に死亡するに至った。

鑑定結果

大腸内視鏡で見つかった有茎性の大腸ポリープ切除することは正しかった。出血危険があるのでポリープをループによる切除ではなく、開腹して直視下の結腸切除適切であった。

しかし、触った感触だけで、ポリープ悪性腫瘍であるかのように扱ったことは問題である。悪性腫瘍という組織的証明がないので、上行結腸根治摘除適切ではない。術者最初腫瘤隣接部を開き、腫瘍切除迅速組織検査をすべきであった。検査結果によって、侵襲を終えるか進めるかの決定をすべきであった。

鑑定委員はさらにクレームをつけた: 原文専門記述翻訳が難しいので省略するが、結腸処理手順要領などについて吟味したところ、注意処理原因する可能があり、注意深く行っていればそのような損傷は高い確率回避できたであろうとしている。剥離した大腸部分を持ち上げてみれば、血管をよく見ることができる。たとえ小さな血管損傷しても、鉗子結紮またはメタルクリップ比較容易止血しうる。

注意十分によって生じたV.m.c.開口に近い静脈の大きい裂傷Overholtクリップを使うことにより拡大した。そのさいに生じた大量出血のために、手術確保することができなくなり、それによってV.m.c.本管血管結紮により狭められ、血栓で詰まることが避けられなかった。小腸からの血液の流れが中断され、それが小腸全体壊死、いわゆる小腸壊疽、となる通常では致命である合併を招いた。

鑑定委員は次のように総括した:

悪性腫瘍組織的証明なくして大腸摘除したことと、V.m.c.広範損傷を引き起こしたやり方は非難されるべき過誤判断される。診療過誤V.m.c.血栓閉塞原因で、それにより死に至る小腸壊死に陥った。従って、死を来たした誤った医師処置への非難根拠のあるものである。

Herbert Weltrich裁判) 及びWilfried Fitting教授医学博士

出典Aus der Arbeit der Gutachterkommission für ärztliche Behandlungsfehler bei der Ärztekammer Nordrhein. Ärztekammer Nordrhein, 2006. (2)

 

6.裁判紛争処理への追加

 

ドイツでは医療過誤が訴えやすく、また裁判紛争処理がその処理効果発揮している。それでも10%あまりは訴訟に持ち込まれる。それとは対照に、医療過誤または説明不足があると判定されたケースの4分の1近くでは、患者医療過誤が認められたということに満足して、そのあと損害賠償慰謝料請求をしていない(ノルトライン医師調査)。真実が分かった満足と、自分への過ちが他の人への再発を防いでくれるという愛他的altruistisch心情によるものである。このような心情はわれわれも持ち合わせていると思うが、それには医療への信頼を高めなければならない。

一方、ドイツの裁判紛争処理を詳しく調査した米国研究は、今でさえ高額かつ多数医療訴訟に悩まされている米国医師にとっては、ドイツ式の裁判紛争処理Arbitrationが持ち込まれると、小さな事件でも訴えやすくなるので、その導入には反対という態度を示していると述べている。

ドイツの裁判紛争処理は、損害賠償慰謝料を求める目的だけではなく、真実を知りたいという患者願望も受け入れてくれるから、患者にとって親切でやさしい制度であるといえる。日本ではそこまで考えるだけの余裕がない現状であるが、医療安全、質の向上患者権利を考えた場合将来到達目標と考えてもよいのではなかろうか。

 

7.カルテ記入が正しく行われていれば

 

以下筆者私見であるが、医学知識基本重大欠陥があれば別として、そうでない失敗不運といえる程度事故刑事的に追求しないという方針が、医療界と検察との間で了解し合うことはできないだろうか。但しその場合、カルテに状況正確記載し、後日刑事的あるいは民事的に必要となったときに提出できることを条件とする。カルテに事実正確記録して残すことは、医師としての最も基本的な義務であり、事件とは何等関連のないことである。もし、これを負担と感じて否定になるとすれば、医師職能団体医師義務違反として是正すべきである。

次にドイツにおけるカルテ作成基本姿勢を示しておこう。ドイツ医師職業規則解説書(R.Ratzel & H.-D.Lippert, 2002)は次のように述べている。「記録素人に読めるものでなければならないというものではない。専門表現解説しなければならないというものではない:それまでの状況を他の医師理解できるものであるならば、検索語的記述十分である。この意味で、専門略語記号使用して差し支えない。ただし、例えば休暇時の代理医が理解できるように、記録は読めるものであることが条件である。」

上記事例2に示したような患者立証責任軽減する立証責任転換によると、印刷された患者への解説用紙患者記録にただファイルされていただけでは、患者への説明適切に行われたことが裁判に信じてもらえないことがある。患者解説書を渡して読んでおけ、だけでは説明したことにならないことは指針によって明文されている。また、患者に対して、患者理解度に応じたレベルで口頭説明を行うことが指針義務づけられているので、このようにして説明し、承諾を得たことを記録に留めておくようにと注意されている。

R.Ratzel & H.-D.Lippert: Kommentar zur Muster-Berufsordnung der deutschen Ärzte. Springer-Verlag, 2002. (第3版)

 

8.医事紛争賠償の額

 

医事紛争における損害賠償慰謝料の額は、ドイツと米国との間で大きな違いがある。例えば、ドイツのノルトライン州での額(2000年の概算)をみると、178件のうち87件は75万円以下80%は225万円以下となっている(表1)。1500万円を超えるものは3件で、7500万円が最高であった。米国では5万ドル(600万円)以下のケースは弁護が引受けたがらないとのことである。賠償額の違う理由として、米国では将来医療生活が含まれるので高くなるが、ドイツでは医療公的医療保険保障し、生活社会保障で守られるので、これらの費用賠償に含まれないからであるといわれている。

ところで日本場合はどうなっているのだろうか。筆者実情把握していないのでコメントする立場ではない。

 

表1 損害賠償慰謝料の額 2000年のケース
ノルトライン医師人口950地区

1マルク=75円として)

1 (千マルク)

7.5  万円

9

15

7.537.5

38

510

37.575

40

1020

75150

36

2030

150225

19

3040

225300

12

4050

300425

6

50100

425750

9

100200

7501500

6

2001,000

1,5007,500

3*

*3件の額: 1,000;  320;  250 千マルク

 

9.ICD10 Y60以下との関連

 

ところで、国際疾病分類ICD-10医療事故との関連はどうなっているのだろうか。ICD-10には疾病分類だけでなく、外因による死亡場合分類が設けられていて、とくに第20Y60以下には医療事故関連する分類が詳しく示されているが、今回のような医療事故関連死の議論の中でICD-10との関連について言及された人がいないように思われる。死因正確分類事故予防にも役立つ重要なものである。死因分類公衆衛生的ならびに国際比較意義への配慮が忘れられているのではないかと気にかかる。 

60 外科的及び内科的ケア時における意図しない切断穿刺穿孔又は出血

61 外科的及び内科的ケア時における不慮体内残留

以下続く

ドイツにおけるICD10による疾病分類病院だけでなく、開業においても徹底しているとのことであるが、ICD -10医療事故関連死因分類実際にどのように活用されているかについては、筆者情報持合わせていない。

 

10.鑑定について

 

裁判紛争処理鑑定立場

以下筆者個人見解多分に含まれていることをご承知ねがいたい。

ドイツの裁判紛争処理鑑定委員調停所の委員鑑定によって進められる。ドイツの裁判制度では、鑑定裁判によって任命され、その専門知識によって中立的に判断し、裁判補佐する形となっている。

他方米国医事紛争では当事鑑定を選ぶことができる。もし、ドイツのように鑑定裁判が選ぶことになれば、当事にとっては自分立場専門意見を述べてくれる鑑定が選べないことになるので、大変心細く感じることになると米国の人は述べている。このような異なった制度の下における鑑定立場の違いを知っておく必要がある。

戦後米国方式を取り入れたので、法廷では当事双方弁護合戦様相になることが少なくない。そのようになると、筆者誤解になるかもしれないが、医学内容最終判断専門医師ではなく、どちらの、あるいはどのような医学鑑定採択するかは、素人である裁判判断にかかってくる。

今更述べる必要のないことではあるが、裁判紛争処理に当る者には、厳正中立判断が求められる。戦後間もないころ、それまでの裁判鑑定を選ぶドイツ式から、当事鑑定を選ぶことのできる米国当事方式変更されたとき、筆者当時手がけていた認知事件での親子鑑定鑑定依頼が、それまでの裁判ではなく、当事弁護から打診されるようになった。裁判立場というそれまで堅く守ってきた中立が侵される思いがして、大変戸惑ったことを思い出す。裁判紛争処理に当る者は、患者医師双方から信頼される中立意義を改めて意識する必要があるかもしれない。その意味で、上記のドイツの裁判紛争処理事例における委員鑑定姿勢参考になるかと思う。

 

解剖鑑定

ドイツでは古くから、第三人権重大影響の及ぶ司法解剖医師2名で行うことになっていて、そのなかの1名は医学専門であることが規定されている。両名の間で意見が分かれるときは、両論併記でもよい、と書いてあるのを読んだ記憶がある。一方死因究明するだけの行政解剖1名でよいことになっている。筆者戦後間もなく医学教室入室したときは、司法解剖鑑定2名の連記提出されていた。また、2名ずつ組み合わせた解剖当番表を作っていたが、これはドイツの制度影響である。20年ほど前、ドイツの医学教授に他の国では何名で鑑定しているか、と質問した時、即答できないが電話で聞けば簡単に分かると言ってくれた。しかし、当時はその必要を感じなかったのでお願いしなかったが、今となってみると残念に思われる。

 

11.医師自律規範と日独比較

 

診療行為関連した事故の中には、医師能力不足義務または倫理違反原因するケースも含まれてくるを考慮し、その場合対応として医師自律規範確立することが求められる。行政処分刑事事件として処罰されるのを受け入れなければならないが、他者からの処罰をただ受身で受けるだけでは医師としての信頼回復できない。医師が自らを厳しく律するという自律規範確立することによって、医師患者間の信頼回復することができる。

自律規範とは言っても、医師職能団体に、自分たちだけで作るように、と手をこまねいて期待しているだけでは実現しない。多くの国は法律と結びつける形で自己規制制度を作って対応している。米国もその一つで、州によって制度多少差異はあるが、自己規制法律規定して実現させていることを峯川浩子(2005)は詳しく述べている。(この2行の表現変更

これに反して、わが国ではこの面での対応に遅れが感じられる。日本医師にそのような機能を求める要望は強いが、任意加入団体であるために、会員資格剥奪という内部制裁可能であっても、医師免許などの資格に関わる処罰拘束を持たせることが困難である。そして弁護における懲戒規定が引き合いに出されるが、弁護は国の法律であるため資格剥奪のような処罰可能であるし、不服場合裁判提訴する手段などが定められている。一方医師に対しては医道審議審査とその適用範囲拡大する方向が考えられているが、現実即応できる態勢には達していない。そこで議論は壁に突き当たっている印象を受ける。

峯川浩子:国内外の医療従事免許懲戒教育制度に関する研究医療上の過失行政処分のあり方をめぐって−.厚生労働科学研究補助医療技術評価総合研究事業国内外における医療事故医事紛争処理に関する法制研究平成17年度分担総括研究報告書(主任研究員:藤澤由和)187以下

 

弁護医師に対する制裁制度の日独比較

2弁護医師義務違反に対する制裁制度を日独間で比較したものであるが、今まで論じられたことがないかもしれない。弁護に対しては、ドイツも日本も国レベルでの規定が作られている。一方、ドイツの医師に対しては、各州の医療職法という基本的な法律懲戒規定制定されている。ドイツでのこの違いは、保健医療主体部分連邦でなく、伝統的に州の管轄業務となっているためである。従って、ドイツの州医療職法など、保健医療に関する法規連邦法規集には収録されていない。各州の法規集を持たないと見ることができない法律であるため、ドイツの医療制度研究する人たちの目にも届き難かったように思われる。さらに一言付言すると、医師倫理義務規定する医師職業規則などは州医師規定であるため、州の官報のようなものではなく、州医師雑誌掲載されることによって公布されたことになる。したがって、州の法規集にも収録されない。しかし現在は、インターネットによってこれらの資料容易入手できる状況になった。

 

表2 義務違反に対する処罰

 

弁護

医師

ドイツ

連邦: 連邦弁護

州: 医療職法

日本

国: 弁護

なし? 医道審議令?

 

 表3及び表4に示すように、ドイツの連邦弁護と州医療職法の制定内容兄弟のような類似性がある。一方日本弁護はドイツの連邦弁護にルーツを持つと言われているが、相互の間に基本的な共通点が認められる。この視点で眺めると、日本医師に対する懲戒規定の欄は空白状態で、性格の異なる医道審議令によって事後処理的な対応に甘んじてきたと言える。

 

ドイツにおける医師に対するこのような制裁手続は、多くの場合患者からの苦情によって始まるが、医師医師によっても起すことができる。州によって規定内容多少相違がある。表3に示した州では、義務違反軽微なものは会長単独注意で済ますことができるが、それを超えるものは懲戒委員あるいは理事会といったレベルで審査される。また、重度のものや複雑なケースは職業裁判所に回し、職業裁判医師名誉裁判によって裁くことになる。

表3 義務違反に対する制裁プロセス

不適切な用語表現があるかもしれません)

 

弁護

医師

ドイツ

会長注意

弁護理事会:非難

 懲戒委員

会長注意

医師理事会:非難

 懲戒委員

弁護裁判

控訴弁護上訴裁判

上告連邦通常裁判

医師職業裁判

二審制 

(それ以上上告はない)

日本

弁護綱紀委員

弁護懲戒委員

不服日本弁護連合

不服東京高等裁判

医道審議

医師医療歯科師法などの他の法律規定により医道審議権限に属する事項処理

 

表4 制裁種類

 

弁護

医師

ドイツ

理事会、懲戒委員

 制裁種類不明

 

理事会、懲戒委員

州によって異なるが一例を示すと、

 注意

 戒告

 2,500ユーロまでの罰金

 資格免許停止2年まで)

弁護裁判

 戒告

 けん責

 25,000ユーロまでの罰金

 1年〜5年の活動禁止

 弁護職からの排除

医師職業裁判

 注意

 戒告

 選挙剥奪

 50,000ユーロまでの罰金

 職業を行う資格なしという決定(=免許剥奪

日本

第五七条  次の四種とする

 戒告

 2以内業務停止

 退去命令

 除名

 

 

  ― ― ― ― ― ―

 

法律辞典によると、職業裁判弁護医師だけでなく、会計税理士歯科師、薬剤獣医師にもあり、「職業裁判は個々の職能団体懲戒裁判で、それを純潔に保ち、職業品位と相容れず、また職業身分名声を害する行為を罰するためのものである。処罰通常戒告罰金さらには職業身分からの排除である。裁判はその場合確定した犯罪構成要件と結びつくものではなく、個々の行為をもたらした原因によって処罰できる。」と定義されている。筆者法律でないので分からないが、刑法主義を超えて処罰ができるような印象を受ける。

懲戒委員職業裁判刑事性格を持ち、賠償などの民事的な事件は扱わない。事件によっては、職業裁判刑事裁判所、民事裁判所と重なることがあるが、その優先度に対しては一定のルールがある。例えば、ドイツ連邦医師最近オンライニュースを見ていたら、ある咽喉専門扁桃手術において外科用メスで患者を死なせてしまった。この医師3年前にも咽頭部の手術傷害を与えたが、患者救急治療で助けられた。検察捜査を始めたが、裁判が始まるかどうかまだ不明、というのがあった。これは特殊なケースであるかどうか筆者には判断がつかない。この後は筆者推定であるが、もしかすると医師職業裁判もこの件を扱っているかもしれない。もし刑事裁判手続が始まるとしたならば、医師職業裁判はルールに従って刑事裁判所の結果が出るまで審理停止し、その判決が出たところで審理再開し、刑事裁判所の判決内容考慮した形で医師職業裁判としての決定を行うことになるであろう。

医師懲戒医師職業裁判手続一般公開で、結果公表されないが、これは医師診療の妨げにならないようにとの配慮であるらしい。また手続記録は、職業裁判のものは10年、医師懲戒3年経過すると破棄される。

 

ドイツの州医師医師自治組織であるが、その組織任務などは州医療職法で規定されていて、州から医師監督する権限委譲されている。州医師はその義務を果たすために、官僚からの支配を受けずに、自分たちが理想と考える各種規則職業規則、卒後研修規則救急業務規則など)を作り、これを実施するという行政行為を行っている(医療などの制約はあるにしても)。このように、州から医師監督権限委譲されているので、医師処罰も行えることになる。また、最近生涯研修義務化され、条件を満たさない医師診療報酬のカット、さらには保険資格剥奪処罰を州保険協会が行えるようになった。この場合連邦公的医療保険法律に、卒後研修実施処罰に関する規定が書き加えられ、それによって自治組織である保険協会拘束のある制裁行為を行うことができるようになったからである。

日本医師は、任意加入団体であるため、拘束を有する制裁行為自発に行うことを期待するのには無理がある。ドイツでは職能団体である州医師は、医師自治組織であるが、州医療職法により医師強制加入規定されているだけでなく、州や連邦規則各種任務義務づけられているために、拘束のある懲罰裁判紛争処理実施実行できることになる。

現状のままでは、わが国に医師自律規範確立するの期待するのは、百年河清を待つに等しい。どのような意識改革必要であるかを論ずる場合に、ドイツにおいて自治組織である医師職能団体としての州医師が、法律とどのような結び付きをしているかに目を向けてみては如何であろうか。

 

おわりに

 

以上に述べたように、ドイツの制度日本といちじるしく異なっている。筆者はドイツの制度に大きな魅力を感じているが、同時に身の引き締る思いもする。日本戦前ドイツから医学を学んできたので、今更ドイツから学ぶものはない、あるいはドイツを真似ていたから遅れをとったと考える人は少なくないかもしれない。しかし、以上報告を読まれた方はどのように感じられるだろうか。

このような差異を生じた原因を探ると二つの要素が浮かび上がる。一つは、戦後のドイツの努力が目覚しいことである。他の要素としては、戦前のドイツから重要なことを学び切れなかったという日本体質が考えられる。ドイツの医学教育医師国家試験基本理念である厳しさを取り入れなかったため、日本医学教育が甘くなったという事実がある。また、ドイツ医師1924年に、医学進歩に伴って生じてきた医療現場混乱将来医療供給の質を考えて、官僚が手を出す前に、自分たちが理想とする厳格専門制度発足させたが、日本はそれに関心であった。倫理面では、すでに19世紀後半にドイツの医師は、各地自発医師職業裁判設立する動きを始めたが、私たちの先輩はそのような自律規範的なものに関心を向ける余裕がなかったようである。ドイツの現在理解するには、このような歴史背負っていることを認識しなければならない。

日本裁判紛争処理を含めて諸改革を進めるためには、まだ幾多努力必要であるが、例えばどの医師もしっかりとしたカルテを書く能力習慣を身につけるという基本的な事項ひとつを取り上げてみても、卒前・卒後教育の更なる見直しが必要であることに帰着するのではないだろうか。

 

 

 

追記(2007.9.3.)

 

1.フランス公的医療事故補償制度

 フランスでは2003年に公的医療事故補償制度発足した。これを担当するONIAM(全国医療事故補償局)の設立関与されたマルタン局長2007616日に東京講演された。

 ドイツの制度を調べている筆者が感じたところでは、システム外見、たとえば担当部局では独仏の間に違いはあるが、鑑定によって医療過誤有無判定するという基本的なところでは共通点が多いと思われた。

 講演後フロアから質問があったが、この制度患者救済することが主眼であるので、死因究明のための解剖はほとんど必要ないという答があった。ドイツを調べている筆者にとって、これは理解できることであった。

 

2.米国裁判紛争処理Arbitration

 裁判紛争処理1970年代に、増大する裁判負担軽減するために米国で考え出された制度で、各方成果を挙げているという。医療面においても、米国半数の州で始められたが、数州を除いて廃止、あるいは成果を挙げていない結果となり失敗している。一方、ドイツでは、米国を学んで1975年から1978年にかけて、各地の州医師鑑定委員/調停所を設置して裁判紛争処理調停)を始めた。ドイツではこの制度成功し、患者医師信頼獲得する成果を挙げている。

 米国研究1995年にドイツの裁判紛争処理を詳しく調査して1996年に結果発表している。それによると、米国ではArbitration調停)、つまりADR裁判紛争処理)は、a few statesではpositiveであったが、多くの州ではそうでなかった。5つの州では違憲とされるなど、多くの州ではnegative経過結果を辿った。ドイツの制度米国アイディアで作られたが、positive resultsを得て、多数のケースが解決しているが、これはcuriousなことだ、と述べている。そして、両国の違いを細かく比較しているが、「米国文化法制度が違うので真似できないが、ドイツのモデルは刺激となり、興味深い」と述べている。このことは日本にも当てはまると思われる。

 筆者8年ほど前に、米国メイン州で内科専門として開業していた堀江医師と話をしたときに、メイン州で実施されているADR状況を聞くことができた。その内容は上に述べたドイツの制度とそっくりであった。

米国医療過誤に関する法制度を全部の州に分けて紹介しているサイトがあるが、その中にArbitrationという項目がある。法律用語と州の条文筆者にとって難解で読み取れるものではないが、メイン州やニューメキシコ州、マサチューセッツ州などではArbitration全面、あるいは部分採用されているようである。一方医療過誤裁判が多く、損害賠償保険保険が高いと言われているペンシルバニア州では、裁判外での紛争処理は、州の憲法で定められた裁判侵害するもので違憲であるとされていた。しかし、この記述2003年に変更され、5万ドル以下の訴えはArbitration処理することができるようになった。